【読書】体を使って心をおさめる 修験道入門/田中利典 | THE ONE NIGHT STAND~NEVER END TOUR~

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「40歳からの〇〇学 ~いつまでアラフォーと言えるのか?な日々~」から改題。
書評ブログを装いながら、日々のよしなごとを、一話完結で積み重ねていくことを目指しています。

  

体を使って心をおさめる 修験道入門/田中利典



吉野山・金峯山寺執行長の田中利典さんが書かれた「修験道」についての入門書です。
僕が知り得る限りで、一番わかりやすく修験道について解説している入門書だと思います。

<目次>
第1部 修験道は日本独特の宗教
 第1章 そもそも修験道ってなに?
 第2章 修験道は権現さま
 第3章 開祖・役行者ってどんな人?
 第4章 聖地・吉野と桜と蔵王権現
第2部 山伏ってなにするの?
 第5章山の行と里の行
 第6章 山修行の実感と体験
 第7章 キーワードでみる山伏の精神
第3部 現代社会と修験の心
 第8章自然災害による気づき
 第9章 ニッポンの連続と断絶
 第10章 脱・グローバル社会と修験道ルネッサンス

 
いままでこのブログで仏教や神道に関する本は紹介してきましたが修験道ははじめてになります。いつか書きたいと思ってきたのですが、普通の人が読んで理解できるような入門書がないというのも書かなかった理由のひとつでした。ようやく、素晴らしい入門書に出会えたと思っています。

「修験道」といわれてどんなイメージを持つでしょうか。多くの人が名前は聞いたことがあるというレベルなのではないかと思います。あるいは「山伏」をイメージする人もいるかもしれません。

「修験道」とはざっくりといってしまえば「神仏和合の宗教」。つまり、神道と仏教が融合したものです。自然や山岳を畏れ敬うといった日本古来の信仰風土に、仏教的行法が入ってきて成立したものだと言われています。そして、その道の修行者、実践者が「山伏」といわれる人たちです。

この本では、第1部で修験道とはどんな宗教なのかということについてやさしく説明しています。ご本尊である「権現」さまとはどんな存在か、開祖だと言われている役行者とはどんな人なのか、そうした切り口から解き明かしています。
また第2部では、「山伏」とはどういう存在で、普段どんな修行をしているのか、という観点から修験道について解説しています。


僕は、日本本来の宗教観は「神仏混淆」にあると考えているのですが、この本を読んでその考えに確信を持ちました。そして、神仏混淆を体現してきたのが「修験道」であり山伏という存在だったと思うようになりました。

江戸時代まで、山伏は普通に、そこらじゅうにいました。というのは雑な言い方ですが(苦笑)本当にそうだったらしいです。

それが激減したのが、明治初期。当時取られた宗教政策によって修験道が事実上禁止されたからです。明治元年の「神仏分離令(神仏判然令)」によって山伏は、神官(神社)になるか、僧侶(寺)になるかの選択を迫られました。

僕はこの政策こそが明治政府が行った最大の愚策だと思っています。このことによって、神道と仏教は明確に分離され、神仏混淆を体現していた修験道は消滅の危機に立たされることになります。これは、日本の伝統文化を断絶させたと思います。江戸時代まで、寺と神社は一体でした。東京の人なら浅草にいけばすぐに理解できると思います。浅草寺と浅草神社が別物である、と思うほうがおかしいような立地になっているでしょう。もっと明確にわかるのは高尾山薬王院。寺院のなかに鳥居が立っています。昔は、それが普通だったのです。

自然に育まれてきた宗教観を、無理やり変えてしまったわけですから、ひずみも出ます。それは道徳にも影響を及ぼします。江戸時代末期、来日した多くの外国人が刮目して見た日本人の振る舞い、小泉八雲が愛してやまなかった日本人の情緒は明治時代に失われたのだといっても過言ではありません。それは、岡倉天心の『茶の本』や新渡戸稲造の『武士道』を読めば、明治中期にすでに日本的道徳についての危機感が表明されていることからもわかると思います。

現在田中さんは、「修験道ルネッサンス」と呼ぶ運動をされています。

グローバルな時代に身をゆだねるのではなく、梅原猛さんの言う明治以前の価値観に立ち返り、大切な自分らしい生き方および神と仏と風土とを取り戻す。そういう意味を込めて「修験道ルネッサンス」と呼んだのです。 (p215)

明治以前の価値観が何でもかんでも正しいわけではないとは思います。しかし、明治以降、人工的に作られてきた価値観に比べ、古来から日本人がはぐくんできたものに近いと思います。そして、それこそが「美しい日本」の根源だと僕は思います。

現代に危機感を覚え、日本の伝統を大切にせよ、と主張される方が多くいらっしゃいます。危機感の部分では共感することもありますが、そうした方の多くが、1945年の敗戦によって伝統が途切れたといわれます。だから明治に帰れ、という話になります。

しかし、それは違うと僕は思います。確かに敗戦、その後のGHQが行った政策もさまざまな影響を与えているとおもいます。しかし、「近代化という名の西洋化」の流れから言えば、明治から平成は一直線につながっています。

「近代」が行き詰まってとき、それを打開するヒントを近代に求めるのはおかしなことです。明治以前、江戸時代や室町時代にヒントを求めてみたほうがいいのではないでしょうか。

そういう意味で、修験道はもっと見直される時期にきている思っています。
すべての日本人の方に、この本はお薦めします。