池田成彬と自助の精神 | ギッコンガッタン 

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日々、気の趣くままに綴る雑記帳

 この自助の精神が日本を世界の大国にしたのかと下に示す記事をみて思いました。今、震災から一年で復興の途上にある中余計に浸みる記事でした。頑張る人が報われて物乞いに頼ってはダメだというわけです。ソースは"ねずきちの ひとりごと"からです。URLは下の通りです。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1458.html




≪転載開始≫



たいへんご好評をいただいている日心会メルマガですが、今週の月曜日に配布したメルマガは、多方面から「その通り」「忘れていたものを思い出しました」と、嬉しいお便りをたくさんいただきました。
お便りをくださった皆様、ほんとうにありがとうございました。

そこで今日は、そのメルマガの本文に記載した記事を、こちらのブログでご紹介したいと思います。

題名は、「自助の精神」です。


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■□ 自助の精神
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ほとんどの日本人は、その意識の中に「自分は中流だ」というのがあるのではないでしょうか。
これは、「中流」の生活程度に関して答えたものですが、実のところその定義ははっきりしていません。

ある種の横並び意識で、経済成長によって、上流階級しか得ることの出来なかった製品/娯楽/趣味/教養などが自分たちにも届くようになったということでしょうか。

「中産階級」という言葉があります。
これは、経済的な状態を表す用語です。

一方「中流」というのは、社会的階級を示す用語なのですといわれています。

つまり、「中産階級」のシンボルを手に入れたというだけでは、
「人に頼らずに計画的に生きてゆける」という「中流」の生き方に届いていない、ということになります。

肝心なことは、
「人に頼らずとも生きてゆける」 という自助の精神です。

本来、日本の「中流」の強みはここにありました。
そしてそれは今でも健在であることを、東日本大地震被災地の人々は示してくれました。

厚労省が発表した平成23年10月のデータによると、生活保護を受け始めた世帯の3月からの累計は、全国で904世帯、4月の323世帯が申請のピークで、以後減少してるといいます。

津波で住居、働き場所、商店、学校など生活をしていくための基盤が根こそぎ破壊されたにも関わらず、生活保護に頼る世帯が減少している。。。。東北人達の強い自助精神を感じないでしょうか。

日本財団は、ボランティア団体に資金援助する一方で、個別に弔慰金/見舞金の支給を実施し、岩手/宮城/福島の各県の遺族に一人当たり五万円を配分しました。

ある福島県の御婦人は、
「主人も、もらっていたので」と返却多層されたといいます。

体育館に避難していた別の御婦人は、
「こうしていると、何でももらえるのでありがたいが、子供に “もらい癖”がつくのではないかと心配です」 と訴えたそうです。

阪神大震災の時、直ちに百円玉入りの封筒をたくさんつくって神戸に行き、
「これで電話をかけなさい」
「これでコンビニに行きなさい」と、預金者でない人にも配った銀行の頭取がいました。

住所/氏名を書くだけで渡したのですが、後日、ほぼ完全に回収されたといいます。
これが、日本の「中流」の持つ自助の精神、互助の精神です。

「人に頼らず計画的に生きてゆける」こと。
これが日本国民のあるべき姿で、これこそが一国が独立する力の源です。
この自助と互助の精神が、失われたら日本が日本でなくなってしまう。

「武士は食わねど高楊枝」 は、日本の美意識でありました。
それは、「人に頼らず」という自助の精神に支えられていたからです。
貧しくとも、それが立派な生き方なのだと思っていたのです。

明治の日本人は、どうであったか。
一つのエピソードがあります。

慶應義塾がまだ出来たばかりの頃、池田成彬らという学生がいました。
ある宣教師が、「奨学金をつけてあげるから」と、米国ハーバード大学への留学をすすめました。

喜んで行ってみると、いきなり、
「支給する奨学金は無い。 まず一年間勉強して良い成績をとってからだ」 というので、
池田は途端に苦学生になってしまいました。

学生食堂で、友人達が食事をしているのに給仕をしたり、先生のために図書館へ行って本を取って来たり、スクールボーイとしての毎日を送っていました。

帰国する金もなく、貧乏のどん底生活をしていると、見るに見かねて援助をしようというアメリカ人が現れたのです。 けれど池田は、飛びつきませんでした。
明治時代の日本人は、根性があったのです。

池田「なぜ、自分に金をくれるのか」
アメリカ人「貧乏で見ていられないからだ」
池田「それでは困る。 頭が良いからだ、と言ってくれ」
アメリカ人「それはまだ分らない。 一年たって試験の成績を見なくては言えない」

池田は、「貧乏が理由で他人から金をもらっては物乞いになる。自分は、米沢藩の家老の息子で、もとはといえば武士である」と、奨学金を断り、結局、日本へ帰ってきました。

福沢諭吉塾長にその旨を報告すると、福沢は、
「それでは慶應で奨学金を出すからここの卒業生になりなさい」と笑って言ってくれました。

池田成彬は、卒業後、三井銀行に入って常務になり、やがて三井合名という持ち株会社の理事になり、昭和12年には日銀総裁、13年には大蔵大臣にも成ったのですから男です。
その根性と気位の高さと頭の良さは、伊達ではなかったのです。

曾野綾子が、著書「揺れる大地に立って/東日本大地震の個人的記録」の中で、敗戦後の貧困の凄まじさについて、
「健康保険も、生活保護も、避難所も、仮設住宅も、ボランティアの支援もなかった時代に、今の八十代/九十代の人々は住む家も焼け、衣服も食糧も日本中になくなった中で、生きなければならなかったのだ」と書いています。

今回の被災地の避難所で暮らす高齢者に供される「上げ膳据え膳」の弊害を説き、「被災者だから、ただでご飯を作ってもらって食べていればいいということはない。 生きるということは、必ず何か仕事を自分で見つけて働くことだ」と述べています。

「自助の精神を失ってはならない」ということなのです。
大東亜戦争で廃墟と化した日本は、アメリカからの無償の「ガリオア・エロア資金」で復興しはじめました。 ところが、アメリカは後年この無償の資金を返却を要求してきたのです。
日本人は、アメリカの変心に恨み顔を見せず、交渉を重ねながら減額を要求し、昭和48年迄に黙々と働いて返したのです。

「他国からの借金は、踏み倒すのが最善であるあたりまえ」とばかり、いっこうに日本に返済をしない国がある中で、日本は、完済したのです。

人々に、自助の精神があったからです。

昨今では、義務教育だからと言って子供の給食費を払わない親がいるそうです。
平成21年だけでも推計26億円の未収金です。
給食費未払い、不正生活保護受給などなど、こういう乞食根性の輩が増えて来ると大変なことになってしまいます。

米国がアフガニスタンから撤退する理由は、財政難でもなく、兵隊の士気の低下でもなく、支援の名の下にアフガニスタン人の人々に「もらい癖」が高まったためだそうです。

日本の周りには、「貰えるものは、歴史や事実を捏造してでももらう」ことを繰り返す国がありますが、自立の精神を失うと、国家として存続することさえ危なくなります。

「自助の精神」「互助の精神」がなければ、いかに経済発展や軍事力の強大さを誇って見せようと、日本の成功と同じ成功は望めるはずがありません。

以下からの引用です。
#1:「超先進国日本が世界を導く」日下 公人(PHP)1,500円
978-4-569-80175-9

#2:「 揺れる大地に立って/東日本大地震の個人的記録 」曾野綾子
1,000円(扶桑社) 978-4-594-06473-0

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本文に登場する池田成彬(いけだしげあき)氏は、山形県米沢市のご出身の方です。

米沢藩といえば、藩主が上杉氏であったことで有名です。
上杉謙信の直系の家柄で、第九代藩主の上杉治憲(はるのり)は、上杉鷹山(ようざん)の名で親しまれています。

池田成彬の父、池田成章(いけだなりあき)は、上杉家の江戸留守居役を勤めた人で、明治維新後には、三井財閥筆頭常務理事、大蔵大臣を歴任しています。
もうひとつ付け加えると、現在の山形県立米沢興譲館高等学校(旧、米沢中学)の初代校長も務めた人でもあります。

本文に出て来た池田成彬(しげあき)は、その成章(なりあき)の長男で、ハーバード大学を優秀な成績で卒業し、帰国後は三井財閥の総帥、日本銀行総裁、枢密院顧問官、そして昭和13(1938)年には、大蔵大臣兼商工大臣を勤めています。

いわば長年にわたり政財界のトップを歩かれた方なのですが、それでいて身辺は実に質素で、「成彬」と書いて「せいひん」とも読みますが、そこから「清貧」とまであだ名されたりしています。

身辺には質素だった池田成彬氏ですが、三井財閥の常務理事となったとき、彼は「役員は実際に働いている人を選任すべき」として、三井直系会社の社長・会長に身を置く三井一族を引退させただけでなく、国家への報恩と大衆との共存共栄のためにと、当時のお金で三千万円(いまの貨幣価値だと数兆円)を拠出して、失業対策や風水害対策、研究施設など多岐にわたって、寄付活動を行ったりもしています。
それでいて三井財閥の業績をさらに伸ばしているのですから、その手腕たるや推して知るべしです。

そしてそういう大物が、陸続と日本に生まれた要素のひとつが、まさに「自助の精神」です。

「天は自ら助くる者を助く」とは、英国のサミュエル・スマイルズの「自助論」の序文に書かれた名言ですが、そうした志と意思は、近代までの日本人にとって、まさに空気のようにあたりまえのものであったといえるのではないでしょうか



≪転載終了≫