障がいを持ちながら生きる気持ち | ター坊のブログ

ター坊のブログ

鎖肛の高位型で生まれてきての生い立ち、生後から17年間の人工肛門の生活、
また17歳の時(1969年)から無事に人工肛門を閉じれるのか、わからない闘病生活でしたが約5年ほど要しましたが完全治癒まで至りました。
また、日常のことも書いています。

 僕は、どうにか、こうにか生きてきてもう、今年で60歳になってしまった。

生まれながらにして先天性奇形の鎖肛で生まれ、生後から人工肛門を付けての体を背負いながら過ごしてきた。

ごく普通にみんなが出来ることとか遊びが出来ないという行動面に制限がある。その、みんなのやってる光景を見るたびに悔しい思いをしなければならない。それこそ指をくわえて見てるだけ、あぁ~、なんで、こんな辛い想いをしなければと親を恨む気持ちが込み上げてくる。


 それと時代が今と違って、障害者に対する人権というものがあったものじゃない、平気でのさぼっている。偏見、差別はもちろん虐待、いじめもごく当たり前にある時代、現在のように、本人の決定権、プライバシーの尊重すらない。

強い者勝ち、弱者は片隅に追いやられることもしばしばあった。


 でも、その時代だからこそ言えることは,その当時の医療体制には僕は、すごく感謝している。それは、17年間、人工肛門の生活をしてきて、それを閉じる手術、この手術は一旦、人工肛門を造設してその閉じる手術を乳児(体の小さい間)に終えておかなければならないのが僕のように17歳(体は成人)になって病院で受診すると手術は不可能と宣告されることもあった。

これも親自身の認識不足もあり、生まれた病院でもきちんと説明がなかったのか定かでない。子供時代からかかりつけのお医者さんからは「君の体がある程度成長が止まってから」と僕自身も直接聞いた覚えもある。何もかも情報があいまいである。

 17歳になって期待感いっぱいで病院に行き手術を受けれると思いきゃ診断で不可能と言われ今までなんのために楽しみをもって、いろんな辛い状況に耐えて頑張って生きてきたのだろう、その瞬間、精神、体ごと崩れ落ちる(うまく表現出来ないけど、これこそ地獄の底に突き落とされた気持ち)

でも、僕はそこで諦める事は絶対出来ない、死んでも構わないと母、僕の二人で無理に無理を承知で先生に頼み込む、そして先生の心が動く、ダメを承知で、しかも先生も挑戦してくださる、また、僕のように成人になってからの手術の経験は無い、初めての試みでもあると後で聞いた。

 

最近、ブログでも鎖肛に関することが多く書かれている。2年以上前から僕は、しきりに見るようになり、僕と同じ境遇の子供さんがいるんや~と思い、コメントも書かせて頂きながら、僕の生い立ちをすべて世の中に、カミングアウトした方が良いと思った。少しでも参考になるかも知れない、もしかして少しでもお役に立てれるかもと期待も持ちながら・・・。

 ちょうどその時に、たまたま、きっかけがあり、自分の想い出として手記も書いていたこともあってカミングアウトと同時に、その手記も公表することになった。

いわゆる、それまで家族、友人すらにも言ってなかったのに完全封印していたものを解いた。