私の略歴と、セッション活動への想い。 | 山部香澄 自己表現を生きる

山部香澄 自己表現を生きる

自己表現を生きるためのステップ。



【私が追い詰められたときの心の叫び、それは…】



私は、ブログなどでは偉そうに語っていますが
どちらかというと社会不適合な人間です。

どちらかと…というよりは完全に、かな。


できていたことも多々ありますが、
あえてドロップアウトした経験を挙げるなら

小学生のときに転校して、うまくクラスの輪に入れなかったり
高校受験、大学受験とも第一志望(国公立)は落ちたり
大学生のときも対人恐怖ぎみだったし
新卒で入った会社は過呼吸で辞めたり
そこから何度も転職を繰り返したり


…今でこそ、
ここに来るための道のりだった
と言えば言えますが、

別にしないならしないでよかった失敗や
痛みの経験もあったはずです。


でも、その挫折の時々で常に思っていたこと、
聞こえてきた心の叫びは

「自分の感受性を諦めたくない…!」



自分を守ることが一番で
他人のことを考える余裕もなく

ただ「うまくやっていければ」生きていけると思っていた。


でも、本当は逆でした。

感受性や感情を常に殺しつつ生きていたからこそ
そうやって何度も挫折したのだと思います。





【○○○○は生きるのに必須】


「自分の感受性を諦めたくない」一心で、
自分の力で仕事を創ろうとし始めたのが4年前。

そんなあるとき、
某セミナーで聞いた言葉が印象に残りました。


幸せには、4つの条件があると。
心理学者フローレンス・シンという人の言葉だそうです。

そのセミナーには
たった一回しか行ってないのですが
妙に心に残ったのがこの部分。


「幸せにはバランスが必要。

それを四角形で表すとしたら、それぞれの辺は
以下の4つで埋められます。

・健康
・富
・愛情
・あとひとつは…なんだと思いますか?」


あとひとつ、なんだと思いますか?


健康が必須なのは言うまでもありません。

富も、当然ながら、ないと生きていけませんよね。

愛情もそう。

仮に誰からも愛されないとしたら…
孤独死という言葉が浮かぶのではないでしょうか。



では、あとひとつは?
なにか必須なものってあるだろうか?


答えは…



「自己表現」。


これを知ったとき、本当に腑に落ちました。

たった一人の心理学者の
マイナーな一説に過ぎないのかもしれませんが。

ほんとにコレだ!って思えたんです。


それまで
自分は、なにもかも満たされていると思っていた。

家族も健在。
生活もできている。
別れがあれば出会いもあり、
それなりに愛されている。

なのに、常に飢え、渇いていて
何かを欲せずには生きていられない感覚が
付きまとっていました。

そのために派手はファッションをしてみたり
県外にあちこち出掛けて人と会ってみたり
自己投資と称して学びまくったり
ネットワークビジネスにハマったり
休みなく仕事で体にムチ打ったり…。


でも…基本的な生活は満たされているのに

まだまだ欲しいなんて、
まだまだ満たされず飢えているなんて

なんて私は贅沢なんだろうって
自分を責めてきたんです。

渇望しながらも、そんな自分が恥ずかしくて
なかなか誰にも言えませんでした。



つまり…私には

「自己表現」

これが欠けていたのです。




【自己表現クライシス】


私の身近にいる、同級生や同僚などほとんどの人は
「そこそこ普通の生活」に
満足しているように見えました。


多少、職場の愚痴は言うものの
かといって辞めようとするわけでもないし。

私が悩んでいたことを
チラッともちかけようとしても

その人は大して不満でないように、
「見えた」のです。


今となっては本当かどうか、分かりませんが…。


でも、私はたまたま最初の仕事で
「過呼吸」というカタチで強制シャットダウンが
やってきた。

だから気づいただけなのです。



その後、人間心理などを学び
様々な人に出会うにつれて分かってきたこと。



実際には、

・健康
・富
・愛情

があったように見えても、

・自己表現

の力や機会が欠けていることで、残りの

・健康
・富
・愛情

を失ってしまうエピソードは
後を断ちません。


職場で言いたいことが言えなくて
心を病んでしまったり…。

お金を重要視しすぎて
過労死したり、
人間関係を失ってしまったり…。

コミュニケーション不全で
離婚を余儀なくされたり…。


これはかなりのストレスです。


私は、「自己表現」って
ある程度満たされた後にやってくるご褒美、

人生にとっては「余剰」みたいなもんだと
思っていました。


そして、
そう思っている人が周りにも多いから
自分を失っていても、なかなか気づけないのです。


そして、そのツケはじわじわとくる。

気づいた頃には
自分がやりたいことがなんなのかが分からない。
言いたいことが分からない。


他のものと違って、
気づきにくいんです。




【自己表現が満たすもの】



そのことをうまく言語化できないまでも
「なんとなくヤバイ」と気づき始めた頃に

私は個人での仕事を始めました。





そのとき、衝撃だったこと。



それは、自分のやりたいことで

たった目の前の一人を相手に仕事するにも
莫大な緊張に襲われたということ。


そして、それ以上に…

自己表現によって
初めて、たった1000円をいただいたことで

今まで経験したどんな喜びにも勝るくらい
莫大な嬉しさが自尊心がわいてきたことです。




今まで、何十万円もらっても

来月を思うと気が重く、動悸が激しくなっていた。
疲れて寝込んだら起き上がれなかった。


なのに、今回の動悸はハッピーなドキドキだ…!


そして、活動を続けていくうちに
試行錯誤ありながらも、

自分が本当に何を感じていて
何を伝えたくて生きているのかを

徐々に、徐々につかみ始めて。


今は、身近にたった数人、
本当に心を許せ、

醜さも自慢も、
安心して出せる人がいるだけで


あれほど、
自己愛、自尊心を渇望して走り回っていた
あらゆることが、まったく必要がなくなったんです。


まさか、でした。



この社会不適合な私が

「平凡な生活もいいもんだな」
「もしかしたら結婚もいいかもしれない」

って思うなんて(笑)。



自己表現のパワーって
別に劇的なものではありません。

外からは見えないし、
分かりやすく称賛されるものでもありません。


だからこそ見落とされがち。


ですが、ひとたび存在を許されると、

それは内側から湧いてきて
じわじわと自分をエネルギーで満たしてくれます。



今、モノが、生活が満たされた時代だからこそ
「自己表現」っていう揺るぎないものが
その底辺に必要なんじゃないかと思う。

そして、誰しもがそのチカラを持っています。

許されていないと思っているだけ。



私は今、

そんな「自己表現」のチカラを解放する
活動をおこなっています。