民主党の最低時給1000円マニフェストとか、ベーシックインカムのこととか考えていた。
なんだか、最低時給1000円に批判的な私が、ベーシックインカム賛成派なのは、矛盾しているなんてコメントもあった。でも、両方とも私は自然にいいなーって思っていたことなんだ。だから、なんで、そうなったのか、ちょっとの間考えてみたのだ。

このブログで、少なくとも先進国では人類は生存するために働く必要がなくなっているのではないかと考えている。必要最低限の暮らしは、ごく一部の第1次産業従事者によって成り立っている。食料の供給である。農業革命によってある程度安定した食糧生産は2000年以上前に実現されているが、天候不順などで飢饉になることは長い間、しょっちゅうであった。

しかし、ここ100年ほどで農業技術が発達し、飢饉でみんなが飢えるようなことも先進国ではなくなったといっても過言ではないだろう。つまり、贅沢言わなければ必要最低限の暮らしは実現できているのだと。多くの人たちは実は、昔ならば贅沢だった暮らしをするためにせっせと働いているのではないかと思ったのだ。

イギリスで産業革命が起こった。それにより人々は生存するための最低限の仕事をほとんどしなくて良くなった。だから、余暇が生まれた。スポーツやギャンブルその他近代文化は、その多くがイギリス発である。余暇が生まれたせいで発達したのだ。それまでは人々は生きることに精一杯だったわけである。

そう考えれば、じつは多くの産業が生きることとは本質的に無関係な余暇のために行われていると考えられる。そういう意味では、製造業だろうが、金融業だろうが大して変わらない。たとえば、自動車製造業だって、既にこれ以上車を作る意味は本質的にはないだろう。今の日本車は50万キロ走っても壊れない。無理をして派遣工を雇ってまで自動車産業が発展する必要は、人間の生存を考えれば必要ないことである。

だから、働きたくなければ無理して働くことはない。そういう人たちにはベーシックインカムで生きていけるようにすれば良い。金のかかる、文化的な楽しい暮らしがしたければ、馬車馬のように働くか、頭を使って賢く稼げばよい。あるいは、金のかからないスローライフを送るのもよい。別にどちらかを強制する必要はない。しかし、金のかかる、文化的な楽しい暮らしのためのハードルは高くすべきだ。

なぜなら、それが人類発展のためのモチベーションになるからだ。だから最低賃金の引き上げなど行うなら、さっさとベーシックインカムを導入すればよい。働くのが得意ではない人間に働かせるよりは、働くのが好きで新しい発明や事業を考えるのが大好きなワーカホリック人間にどんどん働かせたほうが効率が良い。そいつが納める税収で働かない人間を養えばよい。それがベーシックインカムだ。

極論だろうか?
対価を得ないでやるボランティアという形態もあるし、実際にボランティアに従事している人たちも多い。
これからの社会の労働に対するあり方というのも大きく変わってくるのではないかと感じる。

参考:こういうブログもあった。

最低賃金引き上げの効果 - 大竹文雄のブログ

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