自分の連載 の過去ログ
薬と基礎体力の話
 薬という存在をどんなときに欲するか? といえば、「痛み、あるいは苦しい症状を和らげる」(どころか、あわよくば「ぴたっと」治まってほしい)ときです。

 いってみれば「伝家の宝刀」なわけですから、ふだん抜いてはいけません(ということを、言い方を変えながらも書いてきています)。

 ということは、これは私の考え方ですが、ふだんのちょっとした痛みは「我慢」しなければなりません(いざというときに薬でぴたっと痛みを抑えるためにも)。



 痛みや苦しみを急ぎで和らげなければならない「いざというとき」は、2つあります。「我慢できないぐらい痛かったり苦しかったりする」場合と、「大事な用件があるとき」です。そして「仕事中」というのは当然、「いざというとき」に該当すると思っています。

 いざというときは伝家の宝刀(薬)を抜けばよいという安心感を得るために、その薬は100%効く必要があります。ので、服用するのは自然強い薬になりますね。それは、慢性化しなければOKです。

 我慢できるのに、そして、「いざというとき」でもないのに、「ちょっとぐらいいいか……」と強い薬に手を出してしまわないように、「強い意志」が必要になってきます。その「強い意志」を形成するために健康になる必要があります。もっと具体的にいいますと、ふだんから「基礎体力」をつけておかなければなりません。

 基礎体力をつけるというのは筋肉をつける(「マッチョ」になる)ということではありません。もっと身体の内側の話です。内側といいますのは、「心身」のうちの「心」も含みます。



 まず、基礎体力があれば、自分の「不快閾値」が上がります。人間には不快と感じる外部からの刺激がたくさんあり、「痛み」はその最たるものかと思いますが、たとえば同じ小さい蚊に刺されたときに、「痛み」と受け取る方と「痒み」と受け取る方がいます。心身ともに健康な方は、蚊に刺されたぐらいでは「痛い」とは認知しません。

 ただし、痛み閾値が上がりすぎるのは、人間の生存に関わる大問題になってくるので注意が必要ではあるのですが、一般人が身体を鍛えたところでそこまで解脱することはできませんので、それほど気にすることはないでしょう。

 SEが「心頭滅却すれば火もまた涼し」の域にまで到達する必要はまったくないのです。

 薬の話に戻りますと、「痛み」閾値が上がってゆけば、日常での薬に手を伸ばしたくなる誘惑も追い払うことができます。



 痛み閾値を上げる、つまり、心身ともに健康になるためにはどうしたらよいか? という議論は今回はしません。今までずっと書いてきたとおり、その方法は自分で見つけるものであり、一概に「こうしたら健康になる」という「パッケージ・ソリューション」はないと思っています。(なのですが、この連載の最終章ではこの点についての結論=共通解を導き出して、皆さんと共有したいとは常に考えており、この連載の目的はそこにあります)

 1ついえるのは、ふだんからできるかぎり「薬」という存在から離れる努力をしていて、そのおかげでいざというときの投薬がてきめんに効果のある方というのは、一応健康といってよいのでしょう。いざというときに頼るモノがある、という安心感が健康にさらに拍車をかけます。

 「薬」というケミカルな化学物質とはそのような適度な距離を保った良い付き合いをしたいものですね(タバコや酒などの嗜好品と同様に……)。