今日は、私の父の話をさせてください。
生徒さんに”教えさせていただく”仕事を選んだ私の原点。
そして”ものづくり”の大切さや面白さを教えてくれた存在。
それが、私の父であり、母であります。
もっと過去にさかのぼれば、祖父であり祖母である…。
私がここにいるのは、
その時代時代を懸命に生き、
幾多の困難を乗り越えてきたであろう、
そんなたくさんのご先祖さまがいらっしゃるからなんですね。
この冬も諸事情により、お墓参りにも、
実家に帰ることもできない、大変けしからぬ子孫でありますが、
どうか、大きな心で見守っていて欲しいと思います。
どうして帰れないかというと…、
環境を大きく変えると不安定になり、
夜も寝なくなってしまうオトメが居るからです。
私の父は、私が高校3年生の時に他界いたしました。
実は私は父と折り合いが悪く、別居していた時に…でした。
和解もできずに別れの日を迎えてしまったことを、
私は長年後悔していました。
自分を責め続け、理由はどうあれ親をもっと大事にすべきだった
と思う気持ちは、もうずっと心の中に重く残っています。
父は、職業訓練校の溶接技師でした。
”先生”と呼ばれる立場の人でした。
でも、酒癖が悪くて…。
(お父さん、ばらしました。ごめんなさい。。)
幼いころから、家でのそういった父の姿を見て育った私には、
”お父さんは嫌い”という印象ばかりが心に沁み込みました。
父の内面まで推し量れるほど、私が”大人”になる前に、
父は脳血栓で逝ってしまいました。
大人になってずいぶん経った今、
(父には父の、言えない思いがあったのかも知れない)
と思えるようになりました。
しかし、「孝行したいときに親はなし」…!
本当に、その言葉通りです。
悲しいを通り越して心の一部に虚しい穴が開いたまま、もう24年。
それでも、その穴の痛みを抱えながらも私は生きていきます。
それが唯一、父に恩返しさせてもらえることだと信じて。
親不孝な娘だけれど、今ここで私にできることをしていくこと。
地に足をつけて、真実をしっかり見極められる人をめざして…!
同じ”教えさせていただく”立場の者として、
父から学べなかったことは悔やまれるけれど、
それでも、その“血”は…DNAは
確かに私の中に存在するはずだから。
昨日の夕暮れ時。富士山が美しいです。
そういえば…、
父方の祖父は鍛冶屋職人。
また、母は洋裁師。母方の祖母は和裁師。
みな”教える”&”教わる”立場を経験してきた人ばかりですね。
今の私を形作っているのは、
私の中にそういう流れがあったからこそなのでしょう。
自分自身を振り返り、生きている意味を問いただす日。
それが12月28日。忘れてはならない日。
…今日は父の命日です。
私のつたないお話しにお付き合い下さり、ありがとうございます。
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講師 荒木 安子(あらき やすこ)
ピアノ・声楽を教えさせていただいています。
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