福島原発事故当時の生々しい記録 | misaのブログ

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8月にはわずか30分しか公開されなかった東電のテレビ会議の映像が、5日になってようやく6時間分が公開されました。

それらの会話を「報道ステーション」「モーニングバード」から拾いました。

★★★

5カ所を結ぶテレビ会議の映像(昨年の3月13~14日のもの)

photo:01


そこには1号機が爆発した日の夜から、3号機が爆発し2号機が深刻な状況に陥るまでの姿が映し出されている。

本店
「すみません。何かもう、ニュースで言っちゃったそうです。えっと、1時に圧力容器、満水になりましたって。で、現実に満水になるのって何時頃って事にしましょうか?」

吉田所長
「いや、だからさっきから言っているように、流量計も信じられないし、満水にならない可能性もあるわけですね。」

電源が喪失した福島第一原発では、バルブの開閉などのために、どうしても電力が必要だった。

そこで職員たちが考え出した苦肉の策は、車のバッテリーを10台つなぎ合わせて使う事だった。

スタッフ
「バッテリーがあと4台足りないので、ちょっとどなたかマイカーのバッテリーをお貸し頂ければ。。」

吉田所長
「ちょっとまた別の問題が一点あがってきて。。。1号機、燃料プール、今、あの、むき出してます。手を打ちたいんだけど、何とも。。水源もないんで知恵が出て来ない。」

冷却するための意見を求めてみる。

福島オフサイトセンター
「氷、氷をぶち込む。」

本店
「氷とかドライアイスとか、何でもぶっ込んじゃう。」

福島第一原発スタッフ
「プールの水って3000トンくらいあって、効果を考えるとまさに焼き石に水。」

その頃、3号機の建物上部に水素が溜まり始めていた。

本店A
「自衛隊に頼んでさ、火器でパネル吹っ飛ばしてもらえば?海側から。」

本店B
「いや、それねなかなか、それ考えたんだけど、下に大事なものがいっぱいあるんだよ。」

本店A
「だって、どの道吹っ飛ぶぜ。」

結局、結論は出なかった。。。

2号機・3号機に迫るメルトダウンの危機。原子炉冷却のため、車のバッテリーをつないで弁を動かすしかなかった。

福島第一原発スタッフ
「電源を確保するためには、車のバッテリーを10個、直列でつないでやっていたのが枯渇したので、バッテリーをとりあえず確保しないと。。」

「資材班です。すいません、これからバッテリー等を買い出しに行きます。現金が不足しております。申し訳ありませんが、現金をお持ちの方、貸して頂けないでしょうか。よろしくお願いします。」

本店 小森常務
「今日ヘリコプターで飛ぶ人いるのかな?飛ぶ人誰ですか?役割は現金。」

ようやく10時間後。

本店
「本店から相当多額のお金を持って、オフサイトセンターに一人向かわせています。オフサイトセンターに現金がある状態が、今晩くらいから生まれるのでご活用下さい。お願いします。」

吉田所長
「それは、借用書を書けば貸してくれるという事ですね?」

本店
「信用貸しといたしましょう。」

吉田所長
「はい、分かりました。ありがとうございます。」

ところが、既に避難指示が出ていた為に、近くには開いている店がなかった。

福島オフサイトセンター
「今日、うちの方でいわき方面にバッテリー買いに行ったんですけども、どこも買えませんでした。明日また買い出しやるんで、ちょっとトライしてみたいと思います。」

福島第一原発スタッフ
「すいません。資材班ですけど、明日また買い出しに行きますので、ホームセンター等で手に入るような物で、何かご希望の物があれば、リストを持って、、口頭で構いませんから資材班の方までお越し下さい。」

震災から既に50時間以上が経過しているにもかかわらず、頼みの綱は車のバッテリーだけだった。

それが、重大事故は起こらないと、安全神話をうたっていた原発の真実の姿だった。

また、これまで公開を避けて来た理由が分かるような一幕も。。。

本店 復旧班
「本店から差し出がましいんですけど、2号機のですね、海水からいきなりやるような風に聞こえて来ていて、、」

吉田所長
「海水からやりますよ。」

本店
「いきなり海水って言うのは、そのまま原子炉の材料が腐っちゃったりしてもったいないので、なるべく粘って真水を待つという選択肢もあるというように理解していいでしょうか?」

吉田所長
「えっ?!理解してはいけなくて、今から真水というのはないんです。時間が遅れます、また。言いたいのは、真水でやっといた方が、要するに塩にやられないから、後で使えるという事でしょ?」

本店
「はい、そういう事です。」

この期に及んでも第一原発を再び使おうと考えていた東電本店。

吉田所長
「圧倒的に冷却水が多量に必要な時に、やっぱり真水にこだわってると、えらい大変なんですよ。この状況で行けば海水で行かざるを得ないと考えている。」

それでも諦めきれない本店は、1時間後にも。。

本店
「海水注入は、いかにももったいないと言う感じがするんですけどもね。」

吉田所長
「今から水源切り替えてたら、それこそ時間がいくらあっても足りないと言う事。」

また、計画停電についてもこんなやり取りが記録されている。

本店a
「官房長官ら3人から、(計画停電をやったら)人工呼吸器・人工心肺これを家庭で使っている人を、お前は殺すことになると。お前が承知して計画停電をやると言う事は、俺は殺人罪をお前に対して問うと言われました。だから(14日)午前中はやらない。」

本店b
「午前中はやらない?」

本店a
「やらない。」

本店b
「広報面ではどういう対応に。。」

本店a
「広報はやらない。」

本店b
「えーと、何もしない?」

本店a
「やらない。今から記者会見なんてやったら、また大変な事になるからさ。」

このように14日午前中は、計画停電をしない事に決まっていたにもかかわらず、国民には知らされず、首都圏の交通網は完全にマヒしていた。

計画停電の事で本店の会話が騒がしくなる中、3号機の状況は急速に悪化していた。

吉田所長
「急激だな。設定圧力超えちゃうよ。あれがダウンスケールしちゃったじゃん。水位が。。うへっ!小森さん!」

本店 小森常務
「はい、水位がダウンスケールしてる?」

吉田所長
「うん、これね、もう危機的状況ですよ、これ!!」

福島オフサイトセンター
「1階の正門まで持って行きます。正門ゲートで出迎えて下さい。」

吉田所長
「ごめん、ちょっとそれさ、そっち側の電話でやってくれ。これで調整してないでさ、ここでいきなり言うからさ、話が混乱するんだよ。今、重要な会議なんだからさ。調整したやつ言ってくれよ。」

そして14日午前11時1分。

吉田所長
「本店、本店!!大変です大変です!
3号機たぶん水蒸気だと思う。爆発が今起こりました!」

報道向けの発表内容でもめる本店。

本店A
「要はさ、1号機を3号機に変えただけってんでしょ?それで水素爆発かどうか分からないけれど、国が、保安院が水素爆発と言っているから、もういいんじゃないの?この水素爆発で。」

本店B
「もう既に官邸も水素爆発という言葉を使っているから、それに合わせた方がいいんじゃないですかね。」

そして3号機に続き2号機も、その時水素爆発の可能性にさらされていた。

吉田所長
「2号機のですね、ブローアウトパネルは何かもう、多分1号機の爆発の時かに開いちゃっているみたいだって言う情報があります。」

本店
「おお!ラッキー!!」

吉田所長
「そう、それでちょっと今、大至急確認に行ってますけども、ち、ちょっとまだ未確認だから喜ばないでね。」

本店
「つい喜んじゃったよ。」

不幸中の幸いというべきか、2号機の外壁パネルが開いており、そこから水素が漏れ出し水素爆発には至らなかった。

photo:02


しかし2号機は、1号機・3号機以上に深刻な状況に陥っていた。

福島第一原発スタッフ
「燃料の水位が徐々に下がって、燃料の頂部になります。で、その後、炉心溶融にいきます。」

「ちょっとこれ、決死隊なんですけど、あの、圧が下がっているので圧を上げて開けようという事で現場に行っています。」

「水も入ってないし、ベントも効いてないし。。。」

「ダメじゃん。最後、これかよって感じだな。」

「さっきの爆発よりやばいじゃん。」

「ああ、もう早く入ってくれ。」

テレビ会議の音声には記録されていないが、その頃吉田所長は、細野大臣に電話をかけていた。

「もう、ダメかもしれない。」

福島第一原発スタッフ
「ベントですね。ベントが一番先だ。」

打つ手がなくなり、遂にドライベントを実施するしかなくなった。

それは圧力容器の水蒸気を直接外部へ排出するというもの。当然、大量の放射性物質も放出される。

最後の手段であった。

福島オフサイトセンター
「格納容器の中のあれ、ものは出ちゃうんですよ?」

本店
「だから開けなきゃ加圧しちゃうんだから。」

福島第一原発スタッフ
「もう、やるしかないんですよ。」

本店
「開けるっきゃない。開けるって事、言わないと駄目だな、おい。」

しかし現場はわずか数分で死に至る高い放射線が出ている危険な場所で、電源を失った暗闇の中、作業は困難を究めた。

本店
「ドライベントできるんならさぁ、おい!吉田!」

吉田所長
「はい!」

本店
「ドライベント出来るんだったら、もう、すぐやれ!早く!余計な事は考えるな。こっちで全部責任取るから。」

吉田所長
「はい。」

本店
「吉田所長!吉田所長?小弁開いても、もう1弁あるからさあ、そっちは開いているのかい?」

吉田所長
「いろいろ聞かないで下さい。ドライベント、今も開ける操作してますんで!邪魔しないで下さい。」

<映像はここで終わり>

順序が入り混じっているかも知れませんが、ご了承下さい。

この最後のやり取りの数時間後、2号機は損傷、4号機の爆発と大量の放射性物質が放出され、最悪な状況へと突き進んでいくのです。

実は津波が発生した時に東電は、東芝に1000個のバッテリーを発注していたというのです。

ところが東京を出た所で首都圏の大混乱に巻き込まれ、あろうことか警官に止められてしまったとの事。

そんな最悪の状況の中で現場で命がけで作業していた方々が、どれほどの思いで働いていたかを想像するだけで胸が痛みます。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121007-00000023-mai-soci

<福島第1原発>事故時の作業員「もうだめじゃんと思った」

野田佳彦首相は7日、東京電力福島第1原発事故直後に現場で対応にあたった東電や協力企業の社員ら8人と、福島県楢葉町の拠点施設「Jヴィレッジ」で懇談した。

海外メディアから「フクシマ・フィフティーズ(福島の50人)」と称賛された社員らは、当時の苦境を生々しく証言した。

当時1~4号機のユニット所長だった福良昌敏さんは「2カ所の中央制御室にそれぞれ20人近くが交代無しで48時間持ちこたえた。食料は乾パンと水しかなかった」と当時の実情を語った。

1号機の爆発の際には、中央制御室の天井板が全部落ち、ほこりで真っ白になったため、全面マスクをして作業を続けたという。

電源設備の責任者は炉心冷却用の電源が失われ、「万事休す。もうだめじゃんと思った」という。

それでも電源復旧のため、部下に現場へ行くように指示。

部下から「現場に行って、本当におれたちは戻ってこられるのか」と詰め寄られた。

「お願いだから行ってくれ」と頼んだことを「一番つらかった」と振り返った。

3号機の水素爆発時に免震重要棟にいた作業員は「ドンと(音が)来て体がふるえた。戻ってきた同僚の顔は真っ青だった。こんなことを起こしちゃいけないと今でも強く思っている」と語った。

首相は懇談後、「恐怖と過酷な環境で奮闘いただいたことに、国民の一人として心から感謝します」と頭を下げた。

<転載終わり>

野田総理は、本当に彼らの恐怖心と苦労を分かったのでしょうか?

彼らの発言を生で聞いて、涙するくらいでなければその想いを理解した事にはならないと思います。

また、理解したならばもう二度と原発を動かそうなどとは思えないでしょう。

このテレビ会議を、他の電力会社の人々こそ見るべきです。

事故があった時には自分たちがこれと同じ目に遭うのです。

ひとたび事故が起きたら、こんなに苛酷な状況になる原発は、絶対に絶対に稼働させてはいけないものなのです。