正しい人という立場にこだわる怖れ | 目覚めるための心のlesson

目覚めるための心のlesson

あなたの頭の中で巻き起こっている不安も批判も
「自分は間違ってない」と主張している思考もすべてが
「本当のあなた」とは何の関係もないとしたら。。。。




穏やかで安らかに生きるための心の処方箋 ー意識の捉え方と実践法


自ら「始めたい・変わりたい」と感じるタイミングで起こす行動には

それなりの意味があるようです。



さて このところの記事では

日常の場面で感じる 迷い、混乱、不安等の具体的な例を あげてきています。


それらの多くは 過去の記憶とつながることで 比較、評価、批判をし 未来にも

同じことが起こるかもしれない、あるいは起こらないようにという恐れにとらわれることから

迷いや不安、混乱を 生み出しています。



どちらにしても

自分自身を今ここの毎瞬毎瞬に とどめることが出来てくると

例えどのような場面であったとしても 全てはなるようになっているものだと

実感できてくるようです。


人は あまりにも「考え」過ぎているかもしれないと感じます。


ではなぜ「考えすぎてしまう」のでしょうか?

「不安・怖れ」が そこにありませんか?



例えば 誰かに 意見をしたくなったり、つい手をだしてしまうことがありますが

「誰かを見ていて 何かを聞いて 不安を感じ」

その不安を解消するために お節介をしてしまう。


これは子育てや 職場の後輩に対してよくあることです。

失敗しながら うまくいく方法を自分で見つけていくものです。 


穏やかで安らかに生きるための心の処方箋 ー意識の捉え方と実践法

自転車の練習を 思い出してみるといいかもしれません。

転んでも転んでも また自分で起き上がって 

諦めずチャレンジした人だけが 乗れるようになります。



どうせ乗れるようになるのなら 痛い思いを「させず」に

乗れるようにして「あげたい」という気持ちは

わかります。



「させる」「あげる」 という言葉 判りますか?

誰の行動、感情が 働いているようですか?

「自転車に乗れるようになる」のは 誰の課題でしょう。



わかりやすく 子供の例でお話していますが、

課題、宿題で困ってるいる人がいたとして それを解決できるのは 

その宿題の持ち主だけです。



宿題で困っているだけなのに 見ている人が「不安を抱えてしまう」と 

困ってる人が増えてしまうだけです。



その宿題は その持ち主が自分で解決することで

次のプロセスに進んでいくのです。



全てを このように考えてみてもいいのかもしれません。


人間関係も含めてすべての関係を「利害」関係と思っていませんか?

「 利益、被害 」この どちらも 「被るもの」です。


どちらも 得るもの・・・受け取るもの。

受け取るものの質の違い。


関係は 繋がるための コミュニケーションですから

利益と感じるときは つながって害と感じるときは つながりを断つ とすると 

よくわかりますね。



「条件を満たせば つながりましょう」という 取引だと

考えてるのかもしれません。



ビジネスの場面では このような条件が必要にもなることがあるのかもしれません。



穏やかで安らかに生きるための心の処方箋 ー意識の捉え方と実践法


ですが意識には なかったとしても 前提が「全て」そのようなものだというのであれば

人間関係に限らず全てに反映されているかもしれません。


「今ここ」で 心の平和の選択を実践することで


ぽかぽかとした暖かな心で見守ることは

一見、一方的な関係の築き方に 感じるかもしれません。


何故なら 自分自身の心の在り方を 選ぶということは

そのままの相手のまま、いつでもこちら側が主役。



そこには 受容するための条件など存在していないのです。

唯一あるとしたら 「互いに何も望む必要のないあたたかな関係が

あり続けているという状態」だけです。 



相手に変わって欲しいとか 自分の予定表の通りに行動して期待に応えて欲しいとか

相手が「攻撃的な行動」「恐れを選ぶ」を 選んだとしても

「困ってる人が悲鳴を上げているのだ」として


やはり 自分も相手も ぽかぽかとした暖かな心のまま見守るという

意志を持っているからです。


私たちは 自分のことにだけ責任があり、コントロール出来るのは 自分自身のことだけです。

自分自身のどのような状態も ひとつの自分の性質として


自分自身が ポカポカと暖かな気持ちで歓迎し迎え入れることが

できるようになると 安全を保証する「条件」は 必要がないことに

気づくことができるようです。



全ては自分。


自分自身の受け入れられていない ある部分が周りに投影されて 

見せてくれているだけです。


穏やかで安らかに生きるための心の処方箋 ー意識の捉え方と実践法


「自分が正しい」と強く 思えば思うほど「相手が間違ってて、やっぱり自分は正しい」と

感じる出来事ばかり 目に付きませんか?



周りに ×印を付けることで 「やっぱり私は正しい」を確認する、確認したい。

「ほらね、やっぱりね」という 過去の痛みの体験の記憶に基づく

比較や評価のものさしを使って自分の正しさを証明しようとしていませんか?



「こだわってしまう、とらわれてしまう」時の多くの場面では「怖れ」があります。


正しいかどうかの根拠は 過去の記憶にあります。

正しいと思っていたことが間違いだったということもあるかもしれません。



もちろん 人の命にかかわるような お仕事をしてる人の場合には 仕事上の役割として

常に最新の「最もこれが効果的である」 という正しさの追求と自信とこだわりが

不可欠なこともあります。


ですが 一般的な人は 自分が考える「正しい」ことをいう立場、正しい人の役割を守ることは

心が穏やかで居られなくなることの方が多くあります。


自分の穏やかな心のためには 役割にとらわれる必要はありません。

道徳的である必要もありません。善悪や正誤もありません。

この世には 心が安らかな人と 困ってる人しかいないようです。


「私は正しい、相手が間違ってる」に とらわれて苦しくなっている人は


「私は必ずしも正しくなくていい」 「人も必ずしも正しくなくてもいい」


「私も間違えていい」「人も間違っていい」



穏やかで安らかな心の在り方を選ぶことの実践は

例え何があったとしても 人とのつながりは ずっと 保たれていると

気づきと安心を与えてくれるかもしれません。


間違いを認めたとしたら あなたは何を失う気がしますか?



ではまた(o・・o)/~


穏やかで安らかに生きるための心の処方箋 ー意識の捉え方と実践法