博士さんは、怖かった。

10年以上前、私は石原慎太郎さん、テリー伊藤さん、松村邦洋さん、そして浅草キッドさんと一緒にレギュラー番組に出演させていただいていた。

テレビ番組出演経験の少ない当時二十歳そこそこの小娘にとって、大人の男性に囲まれ、またその中で意見するという状況は、臆病者の私を怯ませた。唯一の女で、唯一の新人。自分のプロじゃない匂いを自分で感じとっていた。
今考えればあんなに居やすい環境はないという位皆さん優しくしてくださったにも関わらず。
そんな中、ただ一人、最初から最後まで「話さなかった」ではなく「話せなかった」かたがいた。
それが博士さんだった。
全部見透かされているような「プロ」の目が怖かったのだと思う。
何も言われないこと、怒られないことが妙に怖かった。
初めて出会った怖い芸能人だった。

ある日の収録でのこと。
いつもと違うスタジオだったので、当時マネージャーやスタイリストがついていなかった私は、初めて入る簡易的な控え室の中で一人過ごしていた。
控え室の外から男性二人の話し声が聞こえてきたのは収録が始まる15分ほど前だった。
「なんだよあのCM。『忙しくて~』だって」「どこが忙しいんだよな。見栄はってんじゃねえよな」
それは、当時私が酒井若菜役で出演していたCMの話だった。
薄い壁一枚を隔てた向こう側で繰り広げられる悪口と嘲笑。
会話が終わるまで、私はまるで自分がそこに存在しないかのように、物音を立てないようジッと椅子に座っていた。
アイドル然としたパステルカラーのスカートを履いていることや、ピンクのチークを頬っぺたに入れている自分の姿に一抹の恥ずかしさを覚えたことをよく憶えている。
会話が終わった頃を見計らって、当時異常に暗く大人しかった私が控え室の外に出たのは「全部聞いてた。私だってちゃんと生きてる」と大げさな主張を胸に、悪意にぶつかろうと思ったからだろう。
近くにいたスタッフさんに「今、ここで話してたの誰ですか!」と語気を強めて聞くと「誰もいませんでしたよ」と答えが返ってきた。
一瞬の戦闘モードも虚しく撃沈。怒りのやり場のなさに、却って悔しさでいっぱいになった。
不戦敗もいいところだと怒りを飲み込んだ私はすごすごと控え室に戻ることにした。
控え室のドアノブに手をかけた時、ふと隣の控え室が気になった。
簡易的な控え室…。
そこで思考をとめれば良かった。
この筒抜け具合、声の主が廊下ではなく隣の部屋にいたとしてもおかしくない。
その考えが、全ての間違いだった。
物音一つ聞こえないその部屋のドアに貼られた紙。

その貼り紙には「水道橋博士様」と書かれていた。

そして収録。
スタジオに全員集合。博士さんの前を通り過ぎようとすると、「あ、若菜ちゃん」と呼び止められた。
それまで博士さんから話しかけられるなんてことは一度もなかった。
「はい」と返事をした私に博士さんが発したまさかの一言。
「あのCMいいよね」
博士さんが続けておっしゃった「あの『忙しくて』っていうやつ」という言葉に、確信した。
からかわれている。と。
泣くのはごめんだ。「本当ですか?」と何食わぬ顔で聞き返す。
「うん。俺好き」
この瞬間、私はやり場のない怒りを、迷うことなく博士さんになすりつけた。

そのうち私もレギュラーを卒業した。
それから10年以上経った今まで、博士さんとは一度もお会いしていない。

2009年。
番組を卒業してからもう何年も経った。
私はこのブログに『心がおぼつかない夜に』というテリーさんについて書いた記事をアップした。
同時期、知人から「水道橋博士さんがブログとtwitterであの記事のこと褒めてくれてるよ」と聞かされた。検索してみたら、確かに事実だった。
なすりつけの上塗り。
またからかわれていると思ってしまった。
そんな時、ある先輩と電話で話をする機会があった。
日頃から何でも「そうかそうか」と肯定的に聞いてくれるその先輩の職業はお笑い芸人。
私より10歳以上年上だけど、博士さんよりはずっと後輩にあたるかた。
積年の思いを話すと、先輩は初めて感情的な口調で私を怒った。
「あのさ、控え室の外の声、お前の控え室に丸聞こえだったんだよな」
「うん」
「てことは隣の控え室だった博士さんの控え室にも、丸聞こえだよな」
人に言われて初めて我に返ってハッとした。
これだけで、自分の間違いに気づいた。
でも幼稚な私は認められなかった。
数年前に自作自演のパラレルワールドで悲劇のヒロインを演じた以上、私は今更現実のみっともない自分に戻るわけにはいかなかった。ただの意固地。なのに、言い訳一つ出てきやしない。先輩は続ける。
「普段大人しいお前がさ、控え室から出てって『誰ですか!』って怒ってるのも、博士さんに聞こえてるよな」
私は何も答えられない。
「あのな、本番直前のスタジオってな、スタッフみんな出演者の声聞こえてるんだよ。そんなの博士さんなら当たり前に分かってることなんだよ。スタッフ全員いる所でわざわざその話題を出してくれて、自分はそのCMいいと思ってるって言ってくれたんだよ。そんなありがたいことあるかよ!何でわかんないんだよ!」
「だって」
「キッドさん二人がどれだけ妬まれて、どれだけいじめられてきたかなんて、芸人ならみんっな知ってるよ!痛みを知ってる博士さんがさ、二十歳の子供捕まえてチクチクやるかよ。かわいそうねよしよしなんて人前でやるかよ。優しさってさ、押し付けるもんじゃないんだよ。たけしさんの側で生きてきた人が、そんな無粋なことするか!よく考えな!」

2012年。
『心がおぼつかない夜に』というタイトルでブログ本を出すことになった。帯を書いて欲しいかたを編集者に聞かれた私は、候補リストを10人程紙に書いて渡した。
その時「あと、水道橋博士さんも…」と口をついて出た。
多分私は、この時点で、博士さん以外に依頼する気はなかったのだと思う。
編集者に「接点はあるんですか?」と聞かれた私は「いや、あの、ほら、博士さんって、芸能界で帯文の依頼が最も多いかたでしょ。で、なかなか引き受けていただけないって聞くし、だから、その、ほら、だめだと思うし…」としどろもどろもいいとこ。
マニキュアも、何度も重ね塗りすると、ある日カパッと剥がれて自爪が剥き出しになる。
上塗りし続けていた私の「なすりつけ」が、この瞬間にカパッと剥がれてしまった。
「もし博士さんに引き受けていただけたら、その時点で私の一つのエピソードが終わるんです。そしたら、この本の最後の章で博士さんのことを書きたいんです」と正直に話した。
とは言え、私の稚拙な表現力に力を貸してくださるわけがないという保険を自分にかけることができる位、博士さんが大きな存在だったのもまた正直なところだった。
博士さんにゲラ前の原稿をお送りすると、間もなく返事が届いた。
結果は、まさかのOKだった。

数日後。
編集者からメールが届いた。そこには、博士さんが書いてくださった「くよくよしたって始まる!」という言葉。
読者の前に私自身に刺さってしまった。プロの洗礼を浴びたような名帯文に、ズバッとやられた。
そして猛烈に嬉しかった。
そして、私自身の過去の失態を、いよいよ死ぬほど恥ずかしく思った。

そして、私の本は、
「くよくよしたって始まる!ー水道橋博士」
という一張羅を着て、読者の元にお嫁に行った。


レギュラーをご一緒させていただいていたあの頃から10年以上の月日の中で、私は怖いもの知らずになってひどい天狗になったり、天狗の鼻を折られ休業したり、復帰後に業界特有の所謂手のひら返しにあったり、芸能界をやめたり、色々経験した。

そして。
2012年。12月。
私は某ドラマの撮影をしていた。撮影も終盤に入ったある日のこと。
役としての鬱積に加え、撮影スタイルがかなり独特だったこともあり、私はひどく苛立っていた。その苛立ちが次第にスタッフにも伝わり、気づけばスタッフに話しかけられる言葉のほとんどが「酒井さん、すいません」になってしまった。女優なんて、裸の女王様だ。年を重ねるたびに裸なこと、裸を指摘されないことへの羞恥心は高まる。そこで女王様にちゃんとなりきれるのが主演女優。時々ならいいけれど「主演女優」だけを演じていくのは私には難しいし、女王様になりきれないことが女優として情けなかった。
車の中で、撮影に入って初めて、少しの間休憩を取ることができた。
休憩の後に待っているのは逮捕シーン。役とて心は重くなる。自分自身とシンクロさせたら、それはまるでなりすまし女王様の転落。滑稽だと思った。
そんな私を見たマネージャーから包みを手渡された。

包みを開けると、クランクアップしたらご褒美に買おうと思っていた『藝人春秋』が顔を出した。
マネージャーは「博士さんからです。嬉しいですね」と言って車を降りた。

表紙の博士さんの顔を、どれくらい眺めていただろう。

私は、ああ私は今きっと、この博士さんと同じ顔をしている、と思った。
後に分かることだけれど、博士さんは本の中で芸能界を「あの世」と表現されている。
私は芸人ではないけれど、それでもあの世に来ることを選んだ一人だ。
表紙を見ながら、あの世で生きていけるか、今一度自分に聞いてみた。

さて。どうして博士さんについて書いた文章を「心がおぼつかない夜に」の最後に入れなかったか。
表題作にもなっているテリーさんについて書いた記事。実は私はあの記事を書いたことを後悔していた。というか書いていいのか分からなかった。想像以上にネットで話題になってしまって、戸惑ってしまった。勝手に書いてはみたものの、それが目上のかたに対する敬いとして果たして成立しているのか。分からなかった。
敢えて書く必要があったのかはいまだに分からないが、それ以降私は、プライベートで付き合いのない芸能人のことを書く時は「本」というきっかけがある時のみ、とルールを設けた。
博士さんから藝人春秋が届いたこのタイミングを逃したら、多分この先永遠に小娘物語は書けないと思った。
更に、藝人春秋の中に、博士さんがいじめの世界に飛び込んだエピソードが書かれていたことも大きい。芸人さんの中では知られていても、そこに触れるのはタブーなのかと思っていたから。
それからもう一つ。稲川淳二さんの章を読んだことが何より大きかった。その章を本に入れるかどうか、博士さんが悩んでいらしたというくだりを読んで、私の目には「文章に起こす」という行為そのものが、圧倒的な敬意なのだと映った。
そう感じたから、私も博士さんの章を本に入れることこそ間に合わなかったものの、一度文章に書き起こすということで敬意を払いたかった。
好きじゃないと、人のことなんて書けない。
博士さんにしてみれば、知らない所で怖がられて、誤解されて、好かれて、一体なんなんだ、という感じだろう。私の自己満足感、丸出し。
またテリーさんの記事を書いた時のように後悔しそうな気もするけれど、でもそれはそれで、ね。
話を戻す。