いじめの根本的な解決法 | 生き方カウンセリング 

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いじめについては以前にも書いたことがあるのですが(こちら をどうぞ)、今度はその時とは違う考えが浮かんできたので、そのことについて書いてみたいと思います。




人を育てるには、欠点を直そうとするより長所を伸ばすようにした方がいいとよく言われますが、いじめを解決する時にも、同じことが言えると思います。



それはどういうことかというと、つまり、陰湿で不調和な方向に向いている子どもたちの有り余るほどのエネルギーを、もっと明るく創造的な方向に向けさせるということなのです。


もっと簡単に言えば、学校をもっと面白く、創造的な場所にするということなんですね。




ぶっちゃけた話、まずとにかく、授業を面白いものにしなければ、何も始まらないと思います。



本当の自分に目覚めるために




子どもたちは莫大なエネルギーを持っていますが、そのエネルギーがなぜいじめなどという破壊的で非生産的なものに向かってしまうかと言えば、学校でやっていること、いや、やらされていることがあまりにもつまらないからです。




本当は、学校の授業が知的好奇心を刺激するような興味深いものであれば、彼らはいじめなどというバカバカしいことには興味を示さないと思います。



しかし現実には、学校の勉強が依然として、知的興奮も感じなければ感情面を潤すこともない、単なる義務としての非常に無味乾燥なものであるがゆえに、子どもらの気持ちも自ずと殺伐としたものになっていると思うのです。




つまり本質的には、今の教育も、私たちの子供の頃と同じように、受験教育だということなのです。



英語の文法や数学の公式や歴史の年号や人名などをひたすら暗記し、それらをどれほど創造的に使えるかということが重視されるのならまだしも、結局は、どれぐらい正確に覚えているかだけが評価されるような勉強に、一生懸命になれと言う大人の方がどうかしていると、私には思えるのです。



本当の自分に目覚めるために



極端に言えば、そんな拷問のようなことをされたら、ストレス発散のために悪いことの1つもやってみようと考えても無理はないと思うのです(だから、いじめをしてもいいなどと言っているのでは全くありません)。




学校の授業を面白いものにしようと思えば、まず授業以外の仕事に忙殺されている先生たちの負担を軽くしなければいけないでしょうね。



そうして先生たちに自由を与えて、思いっきり授業を楽しく面白いものにするために知恵を絞ってもらうのです。



しかし、それには、先生方に授業以外の仕事を山ほど課している教育委員会や文部科学省の考え方が変わらないとダメだと思います。



ですが、ということは、世の中全体の価値観が変わらないといけないということだと思うのです。



だから、そう考えれば、いじめの問題も、私たち大人1人1人が、これからも今まで通りの古く硬直した価値観を維持するのか、それとも、人間をもっと解放していくような新しい価値観に移行していくのかという問題でもあると思うんですね。




場合によっては、いじめの問題に警察が介入することも止むを得ないと思います。



でも、警察の力によっていじめが抑制されるというだけなら、子どもらのエネルギーは行き場を失い、また違った形で爆発するだけでしょう。



だから肝心なのは、彼らの純粋で膨大なエネルギーをいかに建設的な方向に向けるかということだと思うのです。




いじめの問題も、社会全体、世の中全体の問題であり、その解決も、子どもたちより私たち大人1人1人の考え方にかかっている。



そんなふうに思うのです。