平成23年3月11日。

私は、福島県双葉郡内の自宅で、夜勤準備をしていました。


4時に家を出れば、十分間に合う。


大好きなCUE動画を検索しながら、のんびり。テレビの隣では、ペットのハムスタ、トニーが元気よく動き回っていました。


午後2時46分。聞きなれない警報音が、携帯から聞こえました。

なんだろう?と思い携帯を開いてみると、

「宮城県沖で地震発生。強い揺れに警戒してください」との文字。


「宮城県沖?近いなぁ…」

と思った瞬間。ゆっくりと、家が揺れ始めました。

本当に、ゆっくりと。そして、だんだん強くなってきました。


「なんだなんだ??これ、なんだ?!」

わけがわからず、立ち尽くしてると、台所の冷蔵庫が倒れかかり、上に載ってた電子レンジが派手な音をたてて床に落ちました。


「あ、これやばい。家にいたら死んじゃう」

そう思って、階段下りて下へ。


玄関を開けようとしましたが、揺れがひどくてあかない。

思いっきりけりやぶって、外へ。そしたら、立てなくなるくらいの揺れになりました。

思わず四つん這いになり、やり過ごす。

携帯を握りしめたけど、とにかく不安だった。

道路挟んで向かい側には、赤ちゃんを抱えて座り込む若いお母さん。

そばに行きたいけど、体が動かない。


アパートの前の駐車場の車が、少しずつ自分に近づいてくる。

電信柱が、メトロノームみたいに左右に揺れる。

道路を走っていた車も、全部路肩に止めてる。みんな、立てない。縮こまって、じっとひたすら揺れに耐えてる。


「この電信柱が倒れたら。この車が倒れてきたら。私、死ぬな。」


そう思った。いやに冷静にそう思った。でも、どうすることもできない。


「怖いよ。おかあさん、助けて」

気がついたら、そういってた。携帯握りしめながら、そう言ってた。



どれだけ揺れたんだろう。少しずつ、揺れがおさまった。

少しずつ、みんな、動き出した。


とにかく、じいちゃんばあちゃんが心配だった。

一週間前、浪江で震度5の地震があった。今回はそれ以上。

じいちゃんばあちゃんの家は、築40年以上の古い家。生き埋めになってないか。ケガしていないか。


電話をかけるが、何も音がならない。何回かけても、全く音がならない。


「この地震で、電話もつながらないか…。とりあえず、職場に行こう。たくさんケガ人とかくる。行かないと。」


部屋に戻ると、何もかもめちゃくちゃになっていた。

「うわぁ、ニュース画像みたい」と思った。まだ、それくらいの余裕はあった。


とりあえず、一週間くらいは病院に泊まり込むだろうなと思った。

念のため、印鑑と通帳を鞄に入れた。携帯の充電器、財布、使い捨てコンタクト1週間分をバックに詰め込んだ。


「トニー、ごめんね。一週間くらい、かえってこれないと思う。これ食べて、待っててね」


床にちらばった餌をかき集めて、全部かごのなかに入れた。水も補充した。トニーは震えてた。

玄関に、トニーが入ったかごを置いた。ここなら、周りに家具がないから安全だと思った。


そのまま、家を飛び出した。あれから二年。私は一度もそのアパートに帰ってない。


のちに、私のアパートは津波をかぶった。建物は無事だったが、水は来たという。



トニー。ごめんね。