家を出ると、すぐに一台のパトカーがものすごいスピードで海に向かって走り去っていった。
「なんだ、どうした?どっか建物崩れたのかな?」なんて思った。
津波のことなんて、頭に全くなかった。
とにかく、早く、病院へ。急いでいけば10分くらいでつく職場。
途中、福島第二原発の施設の前を通る。
車が何台も飛び出していった。おそらく、原発の収拾に向かう職員だったんだろう。
国道六号線に出たとき、メールの着信がなった。東京に住む幼馴染ちゃんからだった。
「まぁちゃん、大丈夫?!こっちもかなり揺れました。電気が止まったよ。」
とりあえず「大丈夫!ありがとう」とだけメールを打って送信した。
しかし、このメールが届いたのは、1日後だったそうです。
町内の建物は、瓦が落ちてたりブロック塀が崩れたりしていたけど、全壊していた建物は見かけなかった。
職場の目の前に、川が流れていて、橋を渡らなくてはいけない。
警察官の人が、「車は通らないで!徒歩の方は、慎重にわたってください!」
橋のつなぎめが大きくもりあがって、わたるのを一瞬躊躇した。でも、わたらないと職場に行けない。
ゆっくりと、橋を渡り、職場にいった。
職場は、思ったよりも落ち着いていた。
点滴や薬ががぐちゃぐちゃになっていて、片付けをしていた。
「あれ?まぁちゃん!大丈夫だった?!!よくこれたね!!!!」
驚いた顔で見る職場の方々。
「なんでも言ってください。手伝います!」
と、とりあえず片付けを手伝った。
これが、3時過ぎ。
どんどん増えるけが人に外来が対応しきれなくなり、急きょ病棟である3階のロビーも解放するように。
エレベーターが使えないので、ご老人は男性職員がおぶって3階に上げて、そこで治療していた。
そのとき。
「津波がくる!!早く、1・2階の患者を3階にあげろ!!!」
津波…?なにそれ??
意味がわからなかった。確かに海から遠くはない。でも、3kmはある。まさか…
「おい、川を見てみろ!!逆流してる!!!!」
窓を見た。水が、ない。もともと小さい川だったけど、水が見えない。
まさか…
それからは無我夢中だった。とにかく、患者さんを一人ずつ、階段で3階にあげる。周囲の住民もやってきていて、誰が患者で誰が町民かわからなくなってきた。
窓に、どんどん人が集まってくる。
「来たぞ!!!!」
見なけりゃいいのに、見てしまった。
川の堤防ぎりぎりまで、水が来ていた。
普段は幅2mもない、ちょろちょろとしか流れない、川。その川が、堤防ぎりぎりまで来ている。
遠くの橋は決壊したという。その流れの中に。
何台もの車と、人が、見えた。
病院の前の橋に、男性職員が何人も駆け出し、車をこじ開けて人を引っ張り上げた。
「まぁさん!ありったけのシーツと毛布とマット出すから!手伝って!!」
あわてて廊下、ロビーにマットを敷き詰め、シーツを引いた。
ずぶ濡れになった職員が、震えている患者さんを連れてきた。
みんな、パニック状態になっていて、震えている。低体温症になりかけていた。
タオルで体をふき、病衣に着替えさせ、安定剤の入った点滴を全開で落とす。
点滴を刺すとき、自分の手が震えてるのがわかった。
何回も手を振って、無理やり震えをとめて、点滴を刺した。
「もう大丈夫だよ。心配しないで」
そう声をかける自分の声も、まだ震えてた。
水は、堤防ぎりぎりまでで済んだため、浸水は免れた。
もし、あの水があと1m高かったら。
私は流されて死んでたかもしれない。
いろんな運に助けられて、私は今生きてるんだと思う。