MAY'S OFFICIAL BLOG | NAUGHTY BO-Z

始まりはいつもと変わらない風景。

場所は茨城県水戸市にある県民センター。





「MAY'Sさん、リハーサルです。」





舞台監督の呼ぶ声で、僕らは楽屋からステージへ向かった。ふと見た時刻は14時30分だったのを覚えてる。"あの瞬間"の約15分前だ。連日のインストアライブのせいか、いわゆる【コンサート会場】的な雰囲気がなんだかとって懐かしかった。無数の照明、櫓のようなDJブース、そして真っ赤に並ぶ美しい客席。

「屋根と壁がある所でライブするの久しぶりだね~。」

そんな冗談を交わしながら、僕らはサウンドチェックを始めた。1曲、2曲と問題なく終え、3曲目に予定していた楽曲にさしかかった時、その最中に"あの瞬間"は起こったのだ。





最初は微量の揺れだった。実は東北地方で起きてる連日の地震報道を見ていたので、「もしかしたら来るかな?」なんて出発前夜に思っていたのだ。なので第一印象は「あ~、やっぱり来た。」って。もちろん、最初は微量の揺れでしたから。すぐに収まると思っていたんです。だから音もストップしないで「すごいすごい」って、揺れる照明やステージセットを眺めていました。

しかし揺れはどんどん大きくなる。収まるどころか、激しさを増すばかりだ。音響チームが両手を横に大きく振った。"音を止めて"の合図だ。音を止めると同時に、舞台監督も叫んだ。

「ステージから降りて!客席に降りて!」

数段高い場所にあるDJブースの揺れは、余計に強く感じた。何かにつかまらないと降りれないほど揺れていたのだ。ただ、その時はまだ"すぐに収まる"ってみんなが思っていた。そしてメンバー、スタッフ、一同が客席に集まった瞬間、揺れは最大級になった。





崩れ落ちる天井、照明、空気中に舞う無数のチリ。築45年のコンサートホールは、すごいスピードで崩壊していった。そして会場のメイン電力が落ちたのか、全ての明かりが消え暗闇に包まれた。映画タイタニックでも同じようなシーンがあったが、明かりが消える瞬間というのは何とも言えない終末感がある。人間から逃げる気力までをも消してしまうような。それまでどこかに抱いていた「まぁ、大丈夫だろ。」っていう気持ちを全て消し去った瞬間だった。

止まる事なく、次々に崩れていく会場。僕はすぐサイドにある防音扉まで走り、勢いよく開け放った。設計が古い事が幸いして、防音扉は2重構造ではなかったのだ。扉の先には外へ続くドアがあり、そこから入る光で会場が照らされた。みんなで勢いよく外で飛び出した。

外に出る瞬間、最後に会場を振り返った時に見た光景を、僕は一生忘れられないと思う。ステージはもはや跡形もなかった。DJブースは無数の照明と崩れ落ちた天井による木材で、完全に見えなくなっていた。あと10秒遅かったら.....そう考えるとゾっとする。そして不幸中の幸いだったのが、本番ではなくリハーサル中だった事だと思う。





ショッキング過ぎる体験に、しばらくみんな無言だった。





イベントスタッフの一人がつぶやいた「今日は中止だな.....」っていう一言が、なんとも心に染みた。中止なんて当たり前だろって思うかもしれないが、何ヶ月も前から企画を練って、前日も深夜から会場に入り豪華なセットを設営したスタッフ達。そのショックは、計り知れないものがあると思う。僕も崩壊したステージから、なんとかパソコンだけは救出したが、他の機材や置いておいた私物は全て失った。それでも何も悔いはない。元気で何よりだ、本当に。

しばらく会場外にある駐車場で待機した。災害避難場所にもなってる大きな駐車場なので、多くの人が避難していた。待機してる間も、数えきれないほどの余震があった。ちなみにiPhoneの電話とメールは一切繋がらない。パケット通信は問題がないようで、Twitterとカーステのラジオで情報を得た。そして震源地がすぐ近くだったという事と、日本の観測史上最大級の地震という事はすぐにわかった。ただ、テレビがあるわけではないので、実際の世の中の現状はいまいちわからなかった。またその時は気付かなかったのだが、街中が停電になっていた。夕暮れの街が、次第に暗くなっていく。スタッフ、アーティスト全員の無事を確認し、MAY'Sチームはひとまず都内へ戻る事となった。





会場から車で出発した直後、みんな言葉を失った。久しぶりに見る街の光景は、壮絶極まりなかった。地震から数時間、駐車場にずっと待機していたので、まるで浦島太郎にでもなったような気分だった。

水戸駅から若干離れたこの辺りは、どちらかというと静かな街だと思う。そんな街が、完全に混乱していた。道路状況は完全にマヒ。信号は全て消え、100m進むのに30分はかかるほどの渋滞。車のヘッドライト以外に一切の灯りはなく、沿道にはヘルメットをして歩く多くの人々。地割れがいたる所で起き、破裂した水道管からは水が溢れていた。電力が途絶え、断水してしまった店は次々に閉店。トイレを求めても、どこも受け入れてはくれない。走っても走っても、そんな状態が数時間も続いた。この時代に数時間も車を走らせ、灯りもなければトイレもない状態が想像つくだろうか?僕らも空腹とトイレが限界に近づいていた。










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走り続ける事5時間ぐらい。暗闇に多くの人だかりを見つけた。うっすらと見える大きな看板は「ドン・キホーテ」だった。散乱した店内から次々に商品を外に出し、それらを法外な値段で叩き売りしていたのだ。【法外】と言っても、それは良い意味で。利益を全く考えずに値段をつけていたのだ。懐中電灯と電卓を手に、ベニヤ板を即席のレジにして販売するスタッフ達。涙が出そうなぐらいありがたかった。

「これも全部100円でいいです!」

威勢よく声を出すスタッフに、訪れる人達の笑顔が垣間見れた。久しぶりに人の笑顔を見た気がする。また、チーズやプリンなど高カロリーな食品を無料で配っていた。助け合い=善意とは、まさにこういう事なんだと心に響いた。何店が覚えていなかったのが残念だったが、これから買い物はドン・キホーテでしようって思った。

総走行距離の半分ぐらいにさしかかった時、ビルやマンションに灯る光が見えた。スタートから6時間が経過した頃だ。最初は電力が復旧したのかと思ったが、どうやら地域によるらしい。比較的都会な場所は優先的に復旧するのか?相変わらず暗闇な一帯も多く、それらはほとんど人気の少ない街だった。優先順位があるのかわからないが、なんだか心がモヤモヤした。










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時刻は深夜4時。10時間ほど走り続けて、やっと東京に入った。

予想していたより、都内の交通状況は空いていた。ただそれは上り限定で、県外へ繋がる下りはほとんど動いていなかった。ナンバーを見ると、ほとんどが都外ナンバーだった。沿道にも相変わらずたくさんの人が歩いていた。そして、その多くがスーツ姿のサラリーマンだった。おそらく会社が終わってからも帰れずに、この時間まで立ち往生していたのだろう。東京駅のタクシー待ちの列も1,000人ぐらいいた。【来ないタクシーを信じて待っている】そんな感じだった。後でニュースで知ったのだが、先頭はなんと前日の18時から並んでいたらしい。

そして出発から12時間、やっとの思いで自宅に到着した。本来なら2時間ほどの距離。ずっと運転してくれたスタッフには本当に感謝だ。帰路の途中も、東京にいた事務所スタッフやレーベルスタッフ、他の現場にいたKGなど仲間アーティスト達、他にもたくさんの人達から連絡が来た。もちろんファンのみんなからTwitterで届いたコメントや、ダイレクトメッセージも、本当にありがたかった。

家に入ってすぐに被害を確認したが、僕の家は運良く被害は少なかった。疲れと安堵で、急激に空腹が来た。こういう状況の時、人間ってやつは高カロリーな食物を欲するらしく、なぜだかカップヤキソバが食べたくなった。お腹を満たした後も、心が落ち着かず、念のため普段着のままリビングで横になった。テレビは点けっぱなしにしたまま。










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阪神大震災の時も、記憶に新しい新潟県中越沖地震の時も、僕ら関東の人間にはどこか実感がなかった。悲しいけれど、正直な所そうだと思う。連日テレビで流れる報道に、その被害はもちろんわかってはいるものの。実際に経験した人間にしかわからない心理というのは必ずある。それはわかってあげれてなかったと思う。今回の出来事は、関東の人間にとって相当ショッキングな歴史になった。東北に比べたら被害はずっと少ないけれど、それでも心に大きく響いたと思う。僕をはじめ、誰もが「まさか自分は」と思っていたはずだから。それでも、世界中の海外メデイアはこう絶賛している。

『有史以来最悪の地震が、世界で一番準備され訓練された国を襲った。犠牲は出たが他の国ではこんな正しい行動はとれないだろう。日本人は文化的に感情を抑制する力に優れている。』

物の奪い合いや商店を襲うような犯罪はいっさいなく、何十キロ続く渋滞にクラクションを鳴らす人なんて誰もいない、誰もが丁寧な言葉使いで助け合う。世界唯一の被爆国で、戦争にも負けて、毎年台風が来て、数年に1回大きな地震が来るような、とっても小さな島国なのに。その国民性は、世界で1番心優しいと思う。





何度も立ち上がってきた日本人の強さ。そのスピリッツをもう1度世界中に見せつけよう。

Keep on Smiling.

 

 

 

 

 

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追記:

この日から1年後の2012年3月11日、僕らは同じ会場に行ってみました。

崩壊した会場内の写真もあります。

停電して暗闇の中を逃げ惑っていたのでわかりませんでしたが、いかに間一髪だったかが改めて身に染みます。
https://ameblo.jp/naughtybo-z/entry-11190252593.html