まぁふつうスポンサーがつく競技だからさ、汗水たらして働いている庶民が続々と抽選で落とされる中、ゼッタイに「政治枠」ってのは存在する。
本気でもねえのにのうのうと参加できるバカどもが必ず存在する。
まぁ別にそれはいいんだけどね。このブログでずーーっと書き続けているとおり、そもそも「スポーツ」をとりまく状況というのは決して「サワヤカ」ではないからね。
もっとどす黒いものだ。
ただ。。俺らみたいな落とされまくる側の愚民が、あきらめてないか? と。
政治枠ってのがあるんだろうなあ。うらやましいなあ。俺も政治権力にすりよって旨味をゲットできる「側」の身分になりたいなあ。。
なんて、思ってないか? と。いや、思ってんだよ。だから愚民なんだから。
だいたいさあ、すぱっと応募なんてやめりゃいいじゃん。そんなにまでして走りたいかよ。落とされると、なんかバカにされたような気がしないのか?
そのへんが俺はようわからん。
だってさ、市民マラソンを標榜してんじゃねえの? Yesなのであればなんでカンゼン平等じゃねえの?
というかなんで、明確に「政治枠1000あり」とかホームページに明記しないの?
書きゃいいじゃん、別に。
本当に走りたいヤツらが続々落選して走れず、別に走りたくもないデブたちにチケットが流れてゆく。
こういう状況は素直に「おかしい!」と思っとこうぜ。「うらやましい。。」なんてよだれたらさずに、さ。
日本人ってホントダメだなって思うのは、結局超・権威主義でさ。芸能人至上主義(テレビに出る人たちを小馬鹿にしながらも実は死ぬほどうらやましい)だし。
政治的コネクションにどんどんすり寄っていくし。
それはなぜかっていうと、「びっとした自分がない」からなんだよな。
テメエら軟体動物かよって。
そういうヤツらとか慣習とか(たとえば、むかし流行った「談合」とか?)を死ぬほど嫌悪してるフリをして、実は、なんとか自分だけは抜けがけできねえかなあなんて思ってからに。
そんなヤツにはゼッタイなりたくないわけよ、俺は。ずーーーっと昔からそう思ってる。
本気でもねえのにのうのうと参加できるバカどもが必ず存在する。
まぁ別にそれはいいんだけどね。このブログでずーーっと書き続けているとおり、そもそも「スポーツ」をとりまく状況というのは決して「サワヤカ」ではないからね。
もっとどす黒いものだ。
ただ。。俺らみたいな落とされまくる側の愚民が、あきらめてないか? と。
政治枠ってのがあるんだろうなあ。うらやましいなあ。俺も政治権力にすりよって旨味をゲットできる「側」の身分になりたいなあ。。
なんて、思ってないか? と。いや、思ってんだよ。だから愚民なんだから。
だいたいさあ、すぱっと応募なんてやめりゃいいじゃん。そんなにまでして走りたいかよ。落とされると、なんかバカにされたような気がしないのか?
そのへんが俺はようわからん。
だってさ、市民マラソンを標榜してんじゃねえの? Yesなのであればなんでカンゼン平等じゃねえの?
というかなんで、明確に「政治枠1000あり」とかホームページに明記しないの?
書きゃいいじゃん、別に。
本当に走りたいヤツらが続々落選して走れず、別に走りたくもないデブたちにチケットが流れてゆく。
こういう状況は素直に「おかしい!」と思っとこうぜ。「うらやましい。。」なんてよだれたらさずに、さ。
日本人ってホントダメだなって思うのは、結局超・権威主義でさ。芸能人至上主義(テレビに出る人たちを小馬鹿にしながらも実は死ぬほどうらやましい)だし。
政治的コネクションにどんどんすり寄っていくし。
それはなぜかっていうと、「びっとした自分がない」からなんだよな。
テメエら軟体動物かよって。
そういうヤツらとか慣習とか(たとえば、むかし流行った「談合」とか?)を死ぬほど嫌悪してるフリをして、実は、なんとか自分だけは抜けがけできねえかなあなんて思ってからに。
そんなヤツにはゼッタイなりたくないわけよ、俺は。ずーーーっと昔からそう思ってる。
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