田舎と都会の現代史 | 大山格のブログ

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おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

 古代文明の頃から都市は人口を呑み込む蟻地獄だった。結婚や子育てが地方に比べて困難なので、都市では人口の自然増が少ない。だから都市の人口増加は周辺部からの流入によることだ。

 絶えず人が入れ替わる都市部では、田舎ほどには地縁や血縁が強くならない。その反面、都会で10年も暮らしていれば、ご近所さんからよそ者あつかいされることもなくなる。

 しかし、田舎では名主の家柄など旧家の権威は、いまでも名残がある。結婚式などで新郎新婦の一方が名主の家柄から親類の代表を呼ぶとなれば、相手方も権威ある旧家の家柄に属する親類を呼ばねばならないなんてこともある。新郎や新婦の親友であろうと、よそで生まれた者が友人代表なんて席に座ることはあるまい。

 田舎では、その土地で生まれた者でなければ、よそ者あつかいは死ぬまで続く。どれだけ地域に貢献しようとも、よそ者あつかいは変わらない。無医村だった診療所に着任した医師ですら、よそ者あつかいだ。その村で生まれ育った人ではないということが、非難攻撃の理由になるのだ。たとえ、その医師が村にとって必要な存在であろうと、お構いなしなのは、上小阿仁村の例が典型的だ。

 だが、よそ者に対して寛容な都市型の田舎町もある。宿場町などがそうで、よそ者こそが顧客となるのだし、温泉場などでは働き手として流入してくる人口もあって、よそ者に対して不寛容でいては成り立たない事情がある。

 不思議なのは新田開発で形成された歴史の浅い集落でも、いつの間にか地縁血縁による郷党意識が出来ていることだ。周辺にある旧来の農村にならって、いつしか閉鎖的なコミュニティーを形成していくものなのだろう。

 もっと不思議な事例もある。かつて河川交通で栄えた河岸があった地域では、宿場町や温泉場と同様に、よそ者の出入りが常にあって、働き手として流入してくる人口や、河岸の発展に伴って新しく店を出す人も流入してきた歴史がある。それなのに、いまではすっかり田舎型の閉鎖的で、よそ者に対して不寛容どころか攻撃的とも思える土地柄になっている地域があるのだ。河岸の衰頽が土地柄を変えたことは間違いないだろうが、とかく閉鎖的、あるいは排他的なコミュニティーを形成してしまうのは、日本民族の性癖なのかもしれないと思わされる。

 歴史的に見て、日本の小作農は西欧の農奴と違って鎖で繋がれていたわけではない。その土地での暮らしが気に入らなければ、逃散という手段で土地を離れることも出来た。だが、何処へ行っても旧来の農村では生涯よそ者あつかいだ。人返し令が出されるほどに都市への流入が多かったのも頷けることだ。

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