庶民の闘い(「テレビという名の怪物」論)
日本人、庶民は、内側(国内)の闘いにすでに負けているのです。

まず、マスコミが垂れ流す情報に負けている。マスコミ側で仕事している人間に庶民が完敗している。いいように操られている。

そこから波及して、外国にナメられてゆくのです。外側との闘いにも負け。。

マスコミというのは、対外的な接続装置でもあるわけで、同じ日本人が跋扈している日本のマスコミによって歪められた大衆の姿がそのまま外国に発信されてしまっています。
「負け」続けている(半ば洗脳されている)庶民の姿がそのまま。。


外部(国外)と闘うためには(戦争する、という意味ではありません)、それなりの人間を、国の代表の政治家として選ばなければならないのですが、今はダメです。そういう時期ではありません。時期は、もう少し時を待たなければなりません。

その前に、庶民が、内部のマスコミを凌駕して、庶民がイニシアティブをとらないことにはどうしようもありません。


ところで、庶民で、胸を張って「自分は一生懸命生きてる」といえるヒトは、少ないでしょう。

そういえるヒトが増えてきたら、マスコミなんかあっという間に凌駕できます。
一生懸命生きていればテレビを見るヒマなどありません。

一生懸命でなく、また、何かしら不満を感じた人生を送っているから、テレビ(の向こうのマスコミ)に追従してしまうのです。
「あっちのほうが楽しそうだから」という理由で。。

毎日、テレビから祭りを見せ付けられたら、誰もがそう思います。
だから、見なければいい。そして、庶民の生活のほうが充実して楽しい! と胸を張って内部の敵(マスコミ)にいえるようにならないと。。


庶民が外部へ向かうのは、その後、それができたらです。
AD