“信仰”閑話…… 17.77/意地 | 獨と玖人の舌先三寸

“信仰”閑話…… 17.77/意地

意地――

意地は、恥の感覚の防衛行動だと考えられる。恥が生まれる前には、自尊心、自分意識、建前、面子の傷つきがある。
打ちのめされて生まれるのが、抑鬱気分、抑鬱感情で、この辛い感情や経験を感じないような防衛が、恥をそそぐために自己の正当性を主張することであり、つまり“意地”となったり、“空意地”、“突っ張り”の行動になる。
こちらも言葉を紹介しておこう。
意地っ張り・根性・意気込み・いじける・意気地無し・いじいじしている・心根・意地悪・底意地が悪い・諦め切れない・ごねる・見返す・捻くれる・拗ねる・不貞腐れる・気負う・抗う・復讐・囚われる・執着・気がすまない・投げ出す・下りる・取り繕う・悔やむ・悔いる・償う・未練・など。
これらの言葉、漢字から感じることを、とある先生が定義されている。
意地とは、
第一に、自分の思うことを通そうとする心である。
第二に、相手がああだから、自分はこうせざるを得ないという心である。

第二の場合、“相手がああでなかったら、しなくても済んだのに”“不本意にさせられてしまった”ということになる。すなわち、意地の裏に 相手に対して期待がある。その期待が満たされなかった悲しみと嘆き、そして恨みの感情が込められている。したがって、“期待には甘えがある”。

もう少し付け加えようか。
脅かされた自尊心を守るために、意地の発動が重要である。
意地の問題は、視野狭窄。
こだわりと怒り。
名誉挽回。汚名返上。


愛する人のためには、苦痛を味わっても相手の求めることを実現したい――この人情も、意地( *`ω´) q)))


源氏物語――親しい関係や深い関係が生まれ、それが何かの理由で壊されると、それまでの親しい関係や深い関係の中で示されていた最も深い想いや気持ちを収拾する方法が見つからず、それを受け止めていたこれまでの相手を破壊するか、消滅させないと安心できないような感じが生まれてしまうのだ。
恨みが鬼や幽霊などに転化して現れるのも、心の面から見るとわりと現実的なことだ。

シェイクスピアは、「侮辱されたら、神々と同じく堪え忍ばないのが武人である。」と記している。
意地でも負けられない“戦い”。西洋では“決闘”が公認されていた。もし逃げ出すなら、意気地無しとなる。
これは、意地を文化の中のモラル、社会階層のモラルとして組み入れられていたことになる。
名誉防衛のために、意地を通さねばならないモラル。これは空気と同じく存在する。たとえ個人的には不合理と考えても、社会的圧力に襲われる。
ただ、死んでも名誉は守られる――
自尊心の傷つきの結果として起こる恥を防衛するための“努力”が、命をかけたものであること、そして傷つく自尊心は、恥に対する恐れを持っていること、つまりそれは、しばしば破壊的となる。
子の親殺し、親の子殺し、同級生の殺傷事件、イジメ、自殺――大量の関連事件を解説する余裕はないからしないが。この国の心のカタチが少しでも見えたでしょう?

日本の伝統とも言える、「曽我物語」、「忠臣蔵」。そして国そのものの“カタチ”「太平洋戦争」の敗退。不利と分かっていて開戦。最後まで戦闘。無条件降伏。のちの復興。段階すべてに“意地”という単語を使える。

「思い起こせば恥ずかしきことの数々、反省の日々を過ごしておりますれば、どうかお許しくださいませ」という手紙の常套句。
寅さん――(mixiで語っているので省略する。)
mixi「題経寺 (柴又帝釈天)/車寅次郎(寅さん)」→ http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000050042354&owner_id=32815602
あの時代、日本人が憧れた純粋性が、あのドラマには込められている。「寅さん」と言っただけで、顔がほころびてくる昭和の先輩諸氏。テレビ、映画を観て、笑い、喜び、泣いて、共感したのではなかろうか。

舞台は世界に移っている。行動規範は緩み、不甲斐ない恥知らずの行動ばかり。
この“日本文化”の答えは――

※下部参考「“信仰”閑話…… 5」→ http://ameblo.jp/emeth-spriggan/entry-11091245856.html
アレも“意地”。





様々な思想や哲学にふれ、それらを吸収することによって得た、自分なりの考え方でこの世界を意味づけてください。
いろいろな経験を積み、見聞を増やしていくことが、知性や人間性を豊かに育てていきます。
(↑これ書くの、2度目かな?)
人間、是れ交際なり。










閑話――
13年前。年上同僚に、
「他人にばかり一生懸命で、自分の事がおろそか。」

12年前。年輩同僚より、
「若いウチからいろんな経験をし過ぎだな。それに必要な知識もしっかり勉強して習得してる。早熟と言うのか、老成してる。達観してる。世の中に冷めてるだろう? 死んだ魚みたいな目して。みんな離れてくぞ。」
老成、達観は18歳の時から言われ。その当時、初見年齢を「30前後?」と言われていたwwww

8年前、年上同僚より、
「出来過ぎなんだ、オマエは。小利口に自分の中でまとまったり、他人の気遣いしてる方が気が紛れるのかもしれないが。そんなんじゃひねた大人になっちまうぞ。もう遅いか?(笑)」

よく手紙を書きます。今はメールですが。ソッチではよく、「遺書みたい」や「遺言かよ!」みたいな悲憤を当てられます。そうタイトルをつけたこともあるのだけどww 実際、そういうつもりで書きますね。

リアルの某を、“ネット像”で想像しないことをオススメします。
………別人と思っていただいて誤らないwwww





思い出した言葉なう(=゜з゜=)
「仏は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ。」
(仏様は私たちのそばにいつもいらっしゃるけれど、現実の世界ではこの眼で見ることは出来ない。けれど、まだ人が寝静まっている暁の夢の中に、ちらりとお姿をお見せになることがあるよ。)
法文歌、佛歌などと呼ばれるもの。仏に限らなくていいでしょう。“ほのかに”に心打たれますw 情緒を感じますww 信ずるモノ、愛する人と置き換えれば――
(「梁塵秘抄」をインスピレーションするのは、Amebaでは2回目かな?)



仏教をインスピレーションしたので………………(☆v☆)キランッ
“男性と女性への神の命令「産めよ、増えよ」は、心からのものであり、無条件だという。
人間に生きることを望むが、未来永劫にではなく、そして人間が増えることを望むが、苦しみなくしてではない。”
これは御言葉ではなく、意訳されたことばだけど…。
キリスト教の閃きv(^_^)vww



これまでに綴ってきたネタに絡む、絶妙なことばd(`ε´ )www



“思い出した言葉なう”インスピレーションキタ━━━(゜∀゜)━━━!!
「人生には、ほんのひとかけらのパンと、ほんの少しの勇気と愛があればいい。」
チャールズ・チャップリンのことば。
彼の“ルール”は、「愛すること、働くこと、食べること」( *`ω´) q)))











君、俺の屍を超えて行け。


Stand by me.















腹に沈澱していた重い痼――の残りカスがようやっと消えた┐(´Д`≡´Д`)┌
このカス、私怨と義憤に候。