
thank you伝道師 ナースりん

父の弔いのため
毎日、実家に行っています。
母は…
夫婦仲が決して良くなかったけれど
父のために、
あちこちに

(もちろん、私達も手伝ってますが!)
混乱しながらも、
必死に頑張っています。
母が本当に欲しかったものは…父の優しい言葉

たぶん…
母は、自分を父に認めて欲しかったはず。
私も離婚を決断して…
理解し合えない共存関係は、
地獄絵のようなものだと知っています…。
(その頃は20代でまだ気づくのには若過ぎたかな?!)
幸い…私は学びとして今、その経験を
受け入れていますし、
元旦那にも感謝しています。
理解してあげられなかったことを反省材料に
今もそれを繰り返しながらも、
少しずつステップアップしてきています。
両親のお陰で、
看護師の資格を持っていたので、
仕事を続けていくことができました。
だから離婚前に購入したマイホーム

手放すこともなく、
娘を愛し、
育てていくことができています。
ですが

母は…、
その時代の方には
多いのかも知れませんね。
経済的に、
父がいなければ
成り立たないと思い込んでいましたし、
離婚に踏み切る気持ちとは裏腹に、
「愛」が欲しかったのだと思います。
「母という病」という



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母は…得がたい「愛」を子供達に
求めていたんだな…
今、ふと気づきました

そして子供は…いつの時代も「母の愛」を求めて…。
母は、
きっと母なりに努力してきたでしょう。
でも心の寂しさを埋める手立てが
見つけられなかった…

次第に子供達…つまり私達も、
母から離れて、
半ば…
「母」を求めることを諦めることで、
それが実は無理なことだとしても…
そう思い込むことで、
私達子供3人は、
ギリギリを保ってきたのかな

ある者は拒食症などになり、
私は反抗的な態度と自己への破壊活動、
埋められない孤独感との戦いで、
ある者は引きこもりを体験しました。
子供は…いくつになってもやっぱり子供。
親を無意識に
求めていくものなのですね。
今、ふと…
本当にふとそう思えたんです。
私はこれまで、
実家にはほとんど近寄らず、
用事で数分程度寄るかくらいのものでした。
実家でご飯を食べるなんて…
あり得ない出来事。
今日は、午前中に父の弔いの準備をする中、
母ができない部屋の掃除をしたり
(なぜか、できない人っていますよね

書類の提出などをしたり、
通夜・葬儀の名簿を作成したり、
父が亡くなって…私自身
気が抜けたのもあったのでしょうね。
午後からダウンして、
心臓が苦しくなってきたので、
弟の部屋で気を失っていました

気づいたら夕方5時を回っていて、
姉達はいったん退散していて、
母と弟だけになっていました。
ウッキー

母に「ご飯食べていきな」と言われ、
いつもなら無碍に断るところを、
少しだけ…とご馳走になってきました。
母の手料理なんて何年ぶりかな。
相変わらず味のない煮物だゎ

「煮物どう?」
…恐ろしい母のこの問い…

いつもならつっけんどんにしちゃう私なのですが、
今日は
「味ないよ~。染み込んでないわぁ~」
ざっくばらんに嫌味(

食後にコッソリ、味付け直しておいたけどねん。
頑張ってる母を助けたい…
そう思える部分が私の中に
芽生えてきています。
一段落したら…ポッカリと母の心には
穴が開くと思うのです。
今まで父に嫌味を言ったり、
責めることで自分を保ってきたところが
あったと思うから…。
まるで私達子供と同じですね…ははは

そんなとき…そんなときこそ
家族の出番ですね。
仕事をしていない今なら、
体調に合わせて一緒に出かけたりも
今後できるような…そんな気がします。
時にはみんなで温泉旅行に行ったり…
まぁ、できるかどうかは別にしてもね。
これも父が望んだ家族の絆の芽生え…
父からのギフトのように思えてなりません。
スピリチュアルな世界に旅たつ父が、
思い出した世界から
私達に放散している愛の形…。
そう思えてなりません。。。
お母さんにもありがとう。。。

突拍子もないことを母に言われて、
傷つくこともまだ…
きっとあると思います。
もう傷つきたくない!!!
…という思いは消せませんが

母が笑顔に過ごせるように…
これからは感謝の気持ちを
本来持っている母の優しさを発揮できるよう
陰ながら応援していきたい…
そう思えるのでした。


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