志葉楽のブログ


★大相撲(おおずもう) ★十両(じゅうりょう)まで
相撲は面白くて楽しい競技である。
古くから行われているもので昔は学校や神社には必ずといって良いほど土俵があった。
今では数少なくなっている。
邪魔だとか言って。
奉納相撲という名称がある。
昔から神に捧げるものであった。
子供の頃は土俵の上に上がるのは特別なことであった。
土俵から投げ飛ばされることが再々で悔しい思いをしたものである。
一段高くなるから周囲が見渡せて人の目を憚り登ったものである。
少し照れくさかったかな。
現在の子供はそんな思いも体験できないのだろう。
さみしい世の中に成ったものである。


★横綱(よこづな)http://bit.ly/xZ7IXn
大相撲の力士の格付け(番付)における最高位の称号である。
語源的には、横綱だけが腰に締めることを許されている白麻製の綱の名称に由来する。
現行制度では横綱に降格はなく、現役引退によってのみその地位から降りる。
従って、横綱になる力士はその地位にふさわしい品格と抜群の力量を要求される。

現在の大相撲においては、横綱は、全ての力士を代表する存在であると同時に、神の依り代であることの証とされている。
それ故、横綱土俵入りは、病気・故障等の場合を除き、現役横綱の義務である。

横綱は、天下無双であるという意味を込めて「日下開山」(ひのしたかいさん)と呼ばれることもある。

古くは戦国時代から、黒白横綱という黒と白を混ぜて撚り合わせた綱が存在していたとされる。
この綱を締めた18世紀の力士の浮世絵が現存している。

当初は大関の中で横綱を付けられる者のことを「横綱」と呼んでいた。(谷風・小野川は関脇で横綱になっている。
また、不知火諸右衛門は横綱免許後に関脇で取っている。)このことから横綱になることを「綱を張る」と表現する。
また、横綱は、当初、横綱免許を持つ大関に対する名誉称号に過ぎなかったため、番付では大関が最高位であった。
それゆえ、雷電爲右エ門のように現在なら当然横綱に値するような成績を残しながら横綱免許を受けなかった強豪大関も少なくない。
当時の力士は多く大名の御抱えであり、その力関係や派閥争いの影響で、横綱を逃すケースもあったと考えられる。
 
★吉田司家(よしだつかさけ)http://bit.ly/zjhKg1
現在まで800年以上の歴史を持つ、相撲の司家である。
 
志賀清林を祖とする志賀氏の断絶後、志賀氏に代々受け継がれてきた故実・伝書などを受け継いだ初代、吉田家次(吉田豊後守 ぶんごのかみ)から始まり、相撲の宗家として代々「追風」の号を名乗る。
元来、京都二条家に奉公し節会相撲の行事官として務めていた。
その後、二条家の許しを受け、細川綱利に招聘され熊本藩に仕え、武家奉公をした。以来、熊本県熊本市に住む。
相撲に関する全権は、後鳥羽天皇より委ねられたという。
 
江戸時代には、勧進相撲が取り行われるようになり、19代吉田追風は横綱制度を考案し1789年(寛政元年)11月、谷風・小野川に横綱を免許した。
 
★行司(ぎょうじ)http://bit.ly/wmxtvU
相撲において取組の有利・不利を判断し、勝者を判定する役目の者である。

大相撲においては、取組中に「発気揚々」(はっけよい)「残った残った」などの取組中の力士に声を掛ける、観戦の邪魔にならないように移動する、力士の緩んだ廻しを締め直す(まわし待った)、力士の外れたさがりを土俵の外に除ける、水入りの場合に両者の立ち位置や組み手などを決める、など様々なことをこなさなければならない。他にも番付を書く、決まり手をアナウンスするなどの仕事がある。

力士同様、行司も各相撲部屋に所属する(ただし、1958年から1973年まで、行司部屋として独立していた時期があった)。
行司の定員は45人。
上下の差が顕著な相撲界においては行司も例外ではなく、『審判規則』第20条により裁く階級によって行司の装束も大きく変わる。
『審判規則』第1条により直垂、烏帽子の着用(1910年(明治43年)5月に裃袴から変えた)と軍配を持つことが決められている。
 
★立行司(たてぎょうじ)http://bit.ly/z07n6V
大相撲の行司における最高位の階級。
かつては力士の横綱と同様に吉田司家の立行司免許を必要としたため行司の横綱に相当する。
 
★大坂相撲(おおさかずもう、大阪相撲)http://bit.ly/xc1rNI
江戸時代から大正の末まで存在した相撲の興行組織。
 
★勧進(かんじん)
仏教の僧侶が衆庶の救済のための布教活動の一環として行う行為の1つで勧化(かんげ)ともいう。
直接民衆に説いて念仏・誦経などの行為を勧める者や寺院・仏像などの新造あるいは修復・再建のために浄財の寄付を求める者がいたが、中世以後には後者の行為を指すことが一般的となった。
 
勧進帳(かんじんちょう)とは、勧化帳(かんげちょう)とも呼ばれており、勧進の目的について書かれた巻物形式の趣意書を指す。
 
勧進の発願趣旨に始まり、念仏・誦経の功徳、寄付・作善に関わることによる功徳(現世利益・極楽往生)などを説いている。
勧進聖は説教を聞くために集まった人々に対してこれを読み上げ、あるいは閲覧させて、寄付・作善を通じた結縁を呼びかけた。
なお、勧進帳とは対として寄付の実績などを記した奉加帳がある。
 
・勧進相撲(かんじんずもう)
宮廷行事としての相撲節会は承安4年(1174年)に廃止されている。
その後、相撲は武家社会に根づき、武士たちの屋敷で行われるようになった。
 
いっぽう、現在の大相撲は神社仏閣の再興や造営の費用を捻出するための江戸時代初期の勧進相撲(かんじんずもう)に端を発している。
勧進相撲は、京都、大坂、江戸の三都を中心に開かれた。
当時、各地に職業的な力士集団が生まれつつあり、勧進相撲に招かれては出場した。
しかし、戦国時代の気風が抜けきれず、様々な問題を引き起こしたため、江戸幕府は慶安元年(1648年)に「風紀を乱す」という理由で勧進相撲禁止令を出している。
 
★奉加帳(ほうがちょう)http://bit.ly/zKhM8S
寺院・神社の造営・修繕、経典の刊行などの事業(勧進)に対して、金品などの寄進(奉加)を行った人物の名称・品目・量数を書き連ねて記した帳面のこと。寄進帳(きしんちょう)とも呼ぶ。
 
本来、こうした事項は勧進の趣旨などを記した勧進帳の末尾などに書き連ねられていたが、勧進活動が盛んになってきた平安時代末期から鎌倉時代にかけて、従来の勧進帳とは別に奉加帳が作成されて寄進者の人名とその内容について記載されるようになり、更には勧進に参加した奉加者の願い事などが付記されるなどの独自の帳面へと発展していった。
 
近世に入ると、一般の行事に際して行われる寄付に際して、寄付者とその内容の記載のために作成された帳面のことも奉加帳と呼ぶようになった。
 
★大関(おおぜき)は、大相撲の階級。http://bit.ly/z07p7m
「大関取」が語源とされ、かつては力士の最高位だったが、現在では横綱に次ぐ地位。
一般に「三役(力士)」というと、「大関・関脇・小結」を指す。
三役の最上位であり、制度上の特権も多く、関脇や小結とは区別して扱われることが多い。
そのため三役を「関脇・小結」のみを指すこともある。
 
東西に最低1名ずつ常設され、空位となる場合には横綱力士が「横綱大関」としてその座を兼ねる。
それも適わない時には、関脇や小結から繰上げで昇進をさせることになるが、そのような例は近年はほとんどない。
江戸時代には大関に適した者が居ない時など看板大関といってただ大きくて見栄えがするというだけの理由で名前だけの大関にしたケースが多かった。
 
★三役(さんやく)http://bit.ly/yHiI5r
大相撲の幕内力士のうち
 ・番付上の三役: 1) 大関・2) 関脇・3) 小結
 ・但し大関は特別な地位のため、関脇・小結のみを指すことが多い。
・三役揃い踏み: 千秋楽結びの三番の前に、大関・関脇・小結に相当する力士がそろって土俵上で四股を踏むこと。番付によって大関が一人または不在の場合は平幕がこれに含まれることもある。
・これより三役: 千秋楽結びの三番にでる最上位の力士。横綱が含まれる。番付によって横綱や大関が不在または少数の場合は平幕が含まれることもある。
 
★関脇(せきわけ、せきわき)http://bit.ly/yP4edz
大相撲において大関の下、小結の上の階級。
「大関」の「脇」をつとめる者、という意味が語源とされている。
 
★小結(こむすび)とは、大相撲の番付の階級の一つ。http://bit.ly/zB7Lm5
関脇の下の地位で、三役の最下位。
由来やその語源はわかっておらず、諸説があるにとどまる。
 
★前頭(まえがしら)とは、大相撲の力士の格付けの一つ。http://bit.ly/A6TUf9
幕内力士のうち、横綱と三役(大関・関脇・小結)を除いた力士を前頭という。
役についていない幕内力士という意味で、平幕(ひらまく)と呼ばれることもある。
 
江戸時代の前相撲の頭が語源であるため、正確には「役力士」と「前相撲」の両極端に位置する力士以外の全力士の格付けは前頭であり、したがって番付表では十両・幕下・三段目・序二段・序ノ口の力士も「前頭」の格付けと四股名が記載される。一般で使用される「狭義の前頭(=平幕)」と、「広義の前頭(=番付表上の前頭)」がある。
なお、幕下以下の力士の場合は簡素化のため数名ごとに横長の「同」の字が冠される。
 
前頭は上から前頭筆頭(一枚目とは呼ばない)、前頭二枚目、前頭三枚目……と呼ばれ、それぞれ東西一人ずついる。
幕内力士全体の定員は決まっており(2004年1月場所から42人)、横綱と三役力士の人数によって、場所ごとに前頭の人数は変わる。
 
前頭の地位で横綱を負かすことを金星(きんぼし)といい、獲得する毎に給金が上がる。
これに対し大関を負かすことを銀星(ぎんぼし)、または殊勲の星(しゅくんのほし)ということもあるが、これは給金に影響しない。
 
★十両(じゅうりょう)は、相撲の番付に於ける階級の一。http://bit.ly/yuZdWk
幕内の下、幕下の上。これより上の力士は関取として扱われる。
番付における正式な名称は十枚目。
明治時代に給与制度の導入と共に創設された階級であり、幕下の上位10枚目以内の力士には場所毎に給与が支給された。このことから、正式な名称を「十枚目」という(2004年1月場所以降定員は東西14人ずつ28人以内)。
新十両力士(再十両も含む)は、新番付発表の日をもって、関取として処遇される。
 
筆頭力士を「貧乏神」・「瀬切り」と称すことがある。
初日と千秋楽には、十両の取組残り3番で「協会御挨拶」を行う。