慶応4年2月上州農民蜂起 | 大山格のブログ

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おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

嘉永明治年間録から

上州綠野多胡兩郡農民騷動事件某氏ヨリ書翰
一兼て申上候岩鼻御陣屋木村公より百姓隊步兵村々より差出方舊冬破仰出苛政嚴重村々不服罷在候折柄當正月大坂大事件風評且關東追討使御下向傳聞次第に人々氣强相成右百姓隊步兵差出方遮て不服申募り村々所々集評の上右銃隊人足申付方取扱候組合內大惣代と唱候者木村公へ阿諛の奸徒神田村某大塚村某新町宿問屋某右三人住宅打毀し八州廻村役人澁谷鷲郞を打殺し衆人の怨を晴さんと決評相成候趣にて當月四日頃より綠野多胡兩郡武州賀美郡邊村民貝鐘を鳴し{鐵|鉄}砲打立追々上州藤岡町最寄寺院或ハ堂社へ馳集り當十二日より十五日迄數千人に及び既に打毀し始り可申處數ヶ村の寺院へ馳集り精々差押へ談判中に御座候
右相手に目指され候三家ハ家財を捨て行衞相知不申八州廻村役人澁谷ハ不及申其外共迯去申候右に付步兵一條ハ上州武州とも相止可申と存候
一岩鼻御陣屋御奉行木村公始め諸役人 勅使參向に恐れ荷物船積に致し妻子諸共夜迯に致し皆々開陣に相成り下役体の者兩三人も居候由依之是迄御陣屋支配所竝御旗本御知行所にて年來非道の計ひ請候人々歡び候事無限實に此一事を以て關東の暴政を悔悟歎息仕候


 慶応四年二月、上州の緑野郡、多胡郡で農民が蜂起したことを江戸の知人へしらせる書翰。
 江戸の薩邸焼討を契機に、京・大坂で鳥羽伏見の戦いが起き、旧幕府軍がまさかの大敗を喫した。2月頃には敗報が関東に伝わったらしく、農民たちは御公儀の御威光を感じなくなっていた。戦争に備えて歩兵を補充しようとしたところ、農民らは動員を拒絶して蜂起した。
 旧幕府の関東郡代、木村甲斐守勝教は妻子もろとも夜逃げしていたことも伝えている。
 民間の伝聞であり、これらのことが事実かどうかは群馬県史でもあたって確認すべきだが、ともあれ鳥羽伏見以後の関東の不穏な空気は伝わってくる。
 関東の暴政を悔悟歎息 は、いまさらだよなぁ。


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