「外国人」は時代遅れだ | 空気を読まずに生きる

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弁護士 趙 誠峰(第二東京弁護士会・Kollectアーツ法律事務所)の情報発信。

裁判員、刑事司法、ロースクールなどを事務所の意向に関係なく語る。https://kollect-arts.jp/

前原外相が外国人から政治献金をもらっていたという報道。
夕刊紙の見出しは「前原辞任不可避」など。
昨晩のニュースのコメンテーターも、外務大臣という立場から外国人からの政治献金はまずい、辞任だろうなどと平然と述べていた。

ちょっと待てよと言いたい。
今回前原大臣に献金をした相手というのは、報道によれば18年間前原さんのことを応援していたという、いわゆる在日コリアンのおばあちゃんだという。

なぜ外国人からの政治献金が禁止されるのかを考えれば、国民主権のもと、外国からの献金を受けるということは、その政治活動が外国の利益のためになることを避けるためだと思われる(これは私の単なる推論なので間違っていたらご指摘いただきたい)。
そうだとすれば、なぜに在日コリアンからの政治献金が禁止されなければならないのか。
在日コリアンは日本に根を下ろし、日本社会に貢献して生きている人達である。
日本でしか生きていくことができない人達である。在日コリアンの利益は日本社会の利益だとも言える。
在日コリアンについては、少なくとも地方選挙については投票権を認めることも憲法には反しないという最高裁判断も出ている中で、在日コリアンが自分たちの日本での生活をよくしてもらおうと、特定の政治家に対して政治献金をすることがなぜに禁止されなければならないのか。

そのようなことを考えれば、今回の在日コリアンによる政治献金というのは、非常に難しい問題であって、これを一刀両断的にけしからんと言い切ることは難しいとしか言いようがない。
この問題は、決して「政治とカネ」の問題ではない。「日本の政治に誰が参加するか」という憲法的な議論だと思う。

日本の政治にどのような者が当事者として関わるのかという資格を考えた際、「日本人」か「外国人」かなどという区別はもはや時代遅れだと思う。
日本社会に根をおろしている生活している「外国人」は多数いて、その人たちが自分たちの生活を守るために献金という形で政治参加する権利は認められるべきだと思う。

前原さんにはぜひ、簡単に辞任だなどと言わずに、この問題の本質を問題提起してもらいたい。
(ちなみ、私は前原さんを特別に支持しているわけではないが・・・)

こういったことを何も考えずに、外務大臣⇒外国人からの献金はまずい⇒辞任
などと思考停止しているとしか言えないマスコミはいい加減にするべきだ。