ということで今日はコンサートに行ってきました。

名誉もあるでしょうから、あえて何の演奏会かは書きません。

・・・にしても・・・・・・。

タイトルの通り、バカは死ねば治るけどクソは死んでもクソのまま・・・・・。

このことがわかっただけでも収穫としましょう。

このプロオケは、以前私自身、ある媒体を主宰している頃に

全面戦争の一歩手前にまで発展したことありました。

その頃と変わってないんですね。今も昔もクソでした・・・・。

いくらスペシャリストの指揮者呼んできても、あれじゃムリですね。

我々音楽関係者はオーケストラのことをオケと呼びます。

しかし、オケ(桶)だと思って使ってたら、なーんかおかしいなと思ったら、

桶じゃなくて、これはバケツだった・・・・・。そんな感じですね。

何から何までお粗末・・・・。

デリカシーのないオケのピアニッシモ、指使いの回らないソリスト、

ディナーミックの不自然さ、「愛」の感じられない表現、

いつも言っているようにウソでも芝居でも演技でも、騙しでも何でもいいから

「愛」を感じさせてくれない演奏、評論、サービス、仕事は全部ペケなんです。

私、許せないんです。

そんなクソ演奏に機械的にブラバーを叫ぶブラボー屋、

作曲者が決してこういう表記をしてくれるなよと言っていたなのに

わざわざそれを犯すようなプログラム解説。

何もかも最低・・・・・。

プロの仕事じゃないです。

私は以前、プロの音楽ライターをやっていました。

こういう演奏の批評をやらされることもありました。

そういう時は、クライアントの要求を満たしつつ、

さらに読者の目をも意識した上でのライティングテクニックもあります。

けっこうそういうのは得意でした・・・。

というか自然にそういのは身についていきました。

その当時なら、きっとこんな表現で書いたでしょう。


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○○の演奏テクニックは、難曲を如何にも難曲らしく演奏してみせ、

それを目の当たりにした聴衆は手に汗握るようような緊迫した思いで、

○○の織り成す音の大伽藍に身を任せ続けた。

全曲が終了するやいなや、聴衆は極度の緊張感から解放されドッと崩れるかのように

拍手喝さいとブラボーを連呼し、演奏者を温かく包みこんだ。

○○を始めとする演奏者の面々からも「大仕事」を成し遂げた安堵感が溢れ出た。

正に「歴史的名演に立ち会った」という満足感をその場にいる者が感じ取ったといえよう。
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私が、もしギャラをもらってこの演奏のレビューを引き受けたならば

精一杯の嫌味を込めて上記ように書いたでしょう。

今回は別にギャラをもらっているわけではないので正直に書かせてもらいますが・・・。

いつもなら、演奏を聴いていると私の傍らに、天国から作曲者が降りてくれるのです。

今日は降りて来ませんでした・・・・。

私が変わって作曲者に謝っておきました。

こんなクソ演奏がはびこっているから日本の音楽文化が衰退するのです。

ペタしてね