ラストデイズ
「“お前は、オレになれる” 松田優作×香川照之」
がんと闘いながら映画「ブラックレイン」でハリウッドを震撼させた俳優・松田優作さんの壮絶な“ラストデイズ”を、香川照之さんが辿る、ドキュメンタリー。
…つうのを見た。
改めて松田優作を見つめてみた。
松田 優作
1949年(昭和24年)9月21日 - 1989年(平成元年)11月6日

1949年(昭和24年)9月21日 - 山口県下関市で、日本人の父と在日韓国人3世の母との間に非嫡出子として生まれた。父親は長崎出身の保護司で当時39歳、郷里に妻子を持つ180センチメートル近い大柄な男性だった。2人の異父兄がおり、兄弟仲は良かったが、次第に自身の出生の秘密に気付き始め、それが原因で孤独を感じるようになる。
改めて…壮絶な出生なんだよなぁ…
1973年(昭和48年)7月20日 - 刑事ドラマ『太陽にほえろ!』にジーパン刑事としてレギュラー出演、その活躍・殉職シーンが話題となる。同年9月、『太陽にほえろ!』出演を機に「現在は松田優作という通称名を使っているので番組の関係者にも知られていませんが、もし僕が在日韓国人であることがわかったら、みなさんが失望すると思います」という理由で法務省に帰化申請を行い、日本国籍を取得。通名だった松田優作が本名となる。
やっぱりそういう事がいろいろあった時代だしね…
1976年(昭和51年)1月31日 -前年7月19日に行なわれた『俺たちの勲章』の鹿児島ロケ打ち上げの際、19歳の予備校生に対して共演者Eと共に暴力を振るい、全治3か月の重傷を負わせた容疑で警視庁新宿警察署に逮捕される。このため、毎日放送の4月新番組『隠し目付参上』をクランクイン寸前に降ろされ、1年間の謹慎生活を送る。身柄を東京拘置所に移された後、傷害容疑で起訴され、同年3月10日、東京地裁で懲役10月、執行猶予3年の有罪判決を受ける。
あ!あったあった!そういう事件!
1977年(昭和52年) - 刑事ドラマ『大都会 PARTII』でテレビに本格復帰。角川映画『人間の証明』棟居刑事役で主演。
そうだそうだ!思い出した!大都会PARTIIで良かった帰って来た!って思ったのを思い出した。
1988年(昭和63年) - 深作欣二監督の時代映画『華の乱』では、国民的女優吉永小百合と共に主役を演じる。この撮影をしている頃から、松田優作は尿が出なくなり腹がパンパンに張っていたという。その後アメリカ映画『ブラック・レイン』に出演し、念願のハリウッドデビューを飾る。同映画の撮影時点で自身が癌に侵されている事を知るが、延命治療を拒み、出演していた。なお、病気の事実を知る者は、撮影関係者では安岡力也のみであり、周囲にも堅く口止めがされていた。
1989年(平成元年)11月6日 - 午後6時45分、入院中の西窪病院(現在の武蔵野陽和会病院)で膀胱癌の腰部転移のため死去。享年40。
そうなんだよなぁ…
ウチの親友であるアニキ分のJ-BOYも同じ西窪病院で尿道癌の診断を受けたんだよなぁ…自分で言ってたよ「松田優作の死んだ病院にかかった」ってね(笑)
劇団仲間であり、後に『完全なる飼育』などの代表作を持つ作家・松田美智子と1975年(昭和50年)9月21日に結婚し、長女が生まれるも、女優・熊谷美由紀(現・松田美由紀)との不倫が原因で1981年(昭和56年)12月24日に離婚。美由紀とは『探偵物語』の共演で出会い、「今まで見たことが無いエキセントリックな女だ」と衝撃を受け、「この女から離れられない」と感じたという。龍平出産後に結婚。
そうなんだよね。やっぱり家族を求めてたんだよね。
ふむふむ…
そっか…