在宅勤務と介護は同時進行できるか? | みんなに教わる介護情報伝道師ぬけが行く

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妻の起こした介護情報提供サービスをサポートしながら『介護はXデーが来る前に準備をしておかなければ経済的にも精神的にも大きな損をする』という持論を私は持ちました。それをいかに社会に伝えるかを模索し、その実現するための学びや行動を記していこうと思います。

見たこと、教わったこと

Googleのカテゴリー別ニュース通知メールで、あるシンクタンクの『介護社会が迫る人事制度改革 ~在宅勤務への備えを』というレポートが通知されてきました。

レポートの中にはこのようなことが書かれていました。(抜粋)

介護には次のような特徴がある。
・介護の開始と終了の時期を予想することは困難
・複数人の介護を別々の時期に行う可能性が存在
・介護が始まると費用負担が増す一方、収入減少が不可避

いずれも望ましいものではない。これらを踏まえた上で企業はどのような手を打つべきか。現状、93日(法定期間)~1年程度の介護休職の取得可能期間を設けており、これ以上の期間になる場合は退職となるケースが多い。だが、介護期間は平均4年近くにも及び、必ずしも対応できているとは言い難い。

ただ、経営の立場からはいつ終わるとも分からない介護休職期間を無期限に認めることは難しい。また、休職制度はどうしても無報酬が基本となり利用者に経済的負担がかかる上、企業は利用者のノウハウを一時的にせよ失うことになる。休職制度の限界である。


ならば働き続けてもらう選択肢はないか。そもそも企業は働き続けてもらうほうが効率がよく、社員もまた働き続けたいと思っている場合が多い。介護しながら働くとは、すなわち在宅勤務である。したがって在宅勤務が可能な、業務内容と業務遂行ツールを整える必要がある。

業務内容は会社と利用者とが折り合う以外にない。業務遂行ツールはパソコンと電話である。問題となるのは企業にとって重要な情報が社外に持ち出される点、すなわち情報セキュリティの問題である。昨今流行のクラウドはこれを解決する技術として注目に値しよう。クラウドによって、端末のデータやデータ処理機能をサーバーに移し、端末はサーバーの処理結果を表示する機能のみにできる。その結果、端末を紛失した場合でも重要な情報が漏洩するリスクは極めて小さくなる。


新たに知ったこと、考えたこと

私はこのレポートを読んだときに、筆者は介護について経験したことがなく、頭の中で知識を寄せ集めてこのレポートを書いたのではないかと思いました

介護の現状の(1)介護の開始と終了の時期を予想することは困難 (2)複数人の介護を別々の時期に行う可能性が存在 (3)介護が始まると費用負担が増す一方、収入減少が不可避

これについては現状をしっかり抑えていて、これ自体に反論する余地はありません。しかし続く対応策を『在宅勤務』に置いたことには疑問を感じます

昨今流行のクラウド(データやアプリケーションなどをインターネット上の外部サーバを置き、ネットに繋がる環境があればどこででもそれを活用できる効率的な利用形態)利用で在宅勤務がより行いやすくなったという切り口が新鮮に感じられるだろう、との思いで作成したのではないかと推測しています。

しかし、これは出来そうでいて、実際に実現しにくい側面が二点あります。

まず一つ目は、介護をしながら実際に労働はなかなか難しいという点です。私の家内は3年前に義母を介護しなければならない状況に陥り、社長業をテレワーク、つまり遠隔在宅勤務で乗り切ろうとチャレンジしました。それは彼女のブログにいろいろと記されています。最近は横着してTwitterのつぶやきのまとめにとどまっていますが、三年前の8月25日から1、2年はあちこちに奮闘の跡を見て取ることができます。

結論は、被介護者が一緒にいると集中したワークができない、ということです。認知症も初期のころは記憶に難はあっても体は普通ですので出歩いたり、頻繁に冷蔵庫などを漁る、同じものを何度も買ってくるということをしがちです。するとどうしても被介護者の動作に気を配らなければならなくなり、集中できるのは夜中だけ。それも夜間に何度も起き出すので心が休まらないと記しています。義母にはありませんでしたが、これで相手が昼夜逆転の症状など見せたならば休む暇すら与えてもらえません。

では訪問・通所介護サービスを受ければどうでしょう。ある程度時間的余裕が出来るかというとそうではありません。訪問介護を受けるとなると、他人が家に出入りするのでその指示に気を使いますし、被介護者と相性が悪ければその仲介にも立たねばなりません。家内はこれでかなり精神的に疲れたようです。

ならばデイサービスのような通いのサービスはどうかというと、朝9時過ぎに家を出たら午後4時過ぎには戻ってきてしまいます。クレヨンしんちゃんの漫画で朝のどたばたがよく表現されますが、同じようにお迎えに間に合うように食事を取らせたり、身支度をさせ、送り出すともうへとへと。そして掃除洗濯の家事を終えて気づくともうお帰りの時間になってしまい、やはり勤務に就くのが困難なのです。帰ってきたら前述の通り何をするかわからないので仕事どころではありません。

こうした状況をまったく念頭に入れていない(入れていたなら明確な対処を記したはずです)ので筆者は介護経験がないのだと判断したわけです。

また二つ目としては、レポートに若干記してはいますが、「業務内容は会社と利用者とが折り合う以外にない」という部分です。それまでの職務内容が事務職ならばそれも出来ましょうが、営業職や販売員だったらそう簡単に折り合いはつきません。結局折り合えるのは労働者のほんの一握りであることを無視してごり押ししてしまっている点です。

これらを総合すると、やはりこのレポートには私は賛同できません。

少し前のブログにも書きましたが、私の持論は、勤労者が介護をせざるを得なくなったのならば、介護はプロに任せ、家族は愛情を注ぐ」方に特化するほうが良いというものです。それにより介護者も所得や地位が維持され、会社は貴重な戦力を失うリスクが回避できます。そして国家もそれまでどおりの税収が確保できるのでメリット大であると考えるのです。

被介護者はどうかというと、家庭で介護されて介護者が精神的・肉体的に疲れ、その反動を受けてしまうことを考えると、通常はプロにケアされて、時間が出来たときに余裕を持って家族から愛情をもって接してもらったほうが幸せとは言いませんがベターなのではないかと思っています。ここについては異論がある方も多いとは思いますが、介護者がリタイアした方でなく、勤労者であるという点に特化すれば、私の持論がどちらかというと(ベストとまで言えないまでも)ベターなのではないかと思っています。

介護や福祉に限った話ではありませんが、技術の進展によりさまざまなアプローチが可能になってきています。それにより、それまでのアプローチとは異なる方法が出てくるのは歓迎すべきだと思います。
ただ、その技術的メリットにのみ目が行ってしまい、肝心の利用者である人間のやり取りをおざなりにしてしまっては本末転倒でしょう。今回のレポートは残念ながらそのひとつの例のように私には感じられます。

また一つ新たな意見を得て、思いをまとめることができました。感謝です。

もし文中や事例などに誤りがあったり、こうした情報もあるよという方、是非ともお教えください。


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