Whitesnake
Fool For Your Loving
80年代に入ると、ホワイトスネイクは全米での成功を悲願とするようになる。しかしデイヴィッド・カヴァデールの私生活を巡る問題、特にハード・ドラッグの乱用(コカイン中毒)による家庭内のトラブルが裁判沙汰となって活動が頓挫。更にメンバーとマネージメント側との金銭的問題などが発生する。またプロデューサーであったマーティン・バーチとミッキー・ムーディーは衝突を繰り返した。
1982年、アルバム『セインツ・アンド・シナーズ』"Saints and Sinners"をリリース。このアルバムに参加メンバーのクレジットはなく、またアルバムのリリース時には既にデイヴィッド・カヴァデールは他のメンバーを解雇していた。デイヴィッド・カヴァデールはこれを機会にメンバーをリセットし、新バンドとしてホワイトスネイク再構築を図ることとなった。ジョン・ロードとミッキー・ムーディーがバンドに復帰し、ベース・プレイヤーのコリン・ホッジキンソン、元トラピーズのギタリスト・ソングライターのメル・ギャレィ、コージー・パウエルが集められた。
1983年にアメリカのゲフィン・レコードとの契約を結び、翌1984年1月、新生ホワイトスネイクによる『スライド・イット・イン』"Slide It In"を発表。このアルバムは、アメリカ盤ではギターがミッキー・ムーディーから元シン・リジィのギタリストジョン・サイクスに、ベースもコリン・ホッジキンソンからニール・マーレイに差し替えられ、ミックスもラジオで聞きやすいものに変更されていた。このアルバムはグループ初のアメリカでのダブル・プラチナ・ディスクとなる。だが、このアルバムの成功によってツアーの厳しさは増し、メル・ギャレイが怪我を理由にグループを抜け、コージー・パウエルも1985年のツアーの後にグループを去った。ジョン・ロードもディープ・パープル再結成の為にグループを去っている。
1987年、 3年ぶりのアルバム『Whitesnake(WS1987、日本での当時の別題:サーペンス・アルバス/白蛇の紋章)』は、かつての母国でのヒット曲2曲をアレンジして再録しているが、スタイルは前作よりさらに洗練され、より明快でドラマティックな起伏にとんだ構成になっている。またレコーディングの前にデイヴィッド・カヴァデールは痛めていた喉の手術をして高音がよく響くようになり、金髪に染めたこともあってかつてのロバート・プラントを髣髴とさせるようになっていた。このアルバムは全米で2位、800万枚以上を売り上げ、(2007年までにアメリカだけでも1000万枚を超える)大成功をおさめる。他方でこのアルバムがアメリカ向きとなっている点とレッド・ツェッペリンを真似ていることを強く批判されることになったが、質の高さは疑いようもなく、現在でもロック史上に残る作品として記憶されている。
なお、このアルバムを共同制作したジョン・サイクスらは作品発表時にはバンドを解雇されており、プロモーション・ヴィデオの撮影に集められた元ヴァンデンバーグのエイドリアン・ヴァンデンバーグ(ギター)、元ディオのヴィヴィアン・キャンベル(ギター)、元オジー・オズボーン・バンドのトミー・アルドリッジ(ドラムス)、元クワイエット・ライオットのルディ・サーゾ(ベース)が新生ホワイトスネイクとなった。MTVでは彼らの曲が頻繁にオン・エアされ、カヴァデールの当時の恋人Tawny Kitaen(後に1989年に結婚/1991年に離婚)が出演するプロモーション・ヴィデオも注目を集めた。新メンバーによるワールド・ツアーも人気を博した。
ツアー後キャンベルが脱退。次作に向けての曲作りはカヴァデールとヴァンデンバーグを中心に行われた。しかしレコーディングを前にヴァンデンバーグが腕を負傷し、急遽スティーヴ・ヴァイが起用されてギター・パートを担当した。このアルバム『スリップ・オブ・ザ・タング』"SLIP OF THE TONGUE"は1989年に発売され、300万枚を売り上げた。その後グループは1991年に活動を中断し、1994年に『グレイテスト・ヒッツ』をリリース。プロモーションの為にこの年のみライヴ活動を行った後ホワイトスネイクは長期間の活動休止状態に入る。