2011年03月26日10:50 に池田信夫氏の原発論が出ていた。
http://agora-web.jp/archives/1290845.html

これももっともらしく見えるが、東大話法なので、註釈しておく。氏の論稿は、

「原発は経済問題である」

というタイトルであるが、まさに、経済問題としてとんでもない大問題だ、ということを示しておきたい。

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けさの「朝まで生テレビ」は原発論争に終始しましたが、また昔の無限ループに引きずり込まれそうな感じがしたので、今までの原発論争をおさらいしておきます。
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「おさらい」というのは、東大の学問の得意技である。彼らは様々の論文やらなにやらを沢山集め、かたっぱしから読んで「おさらい」することにかけては、誰にもまけない。それが、東大で「研究」と言われるものの中心を占める。しかしそれは、必ず自分に都合のよいように歪曲される。

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これまでの論争では、反対派が「原発は絶対安全ではない」と主張するのに対して、絶対とは答えられない政府や電力会社は論争を恐れ、情報を隠してきました。それが反対派の不信感をあおって対立が先鋭化し、原発の番組は出演者をそろえるだけでも大変です。「命は何よりも尊い」という反対派の論理に対して、推進派は「少しぐらい死ぬリスクはしょうがない」とは口が裂けてもいえないので、議論が噛み合わない。
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これは既に原発反対論を歪曲している。「絶対に安全ではない」と言うのは原発反対論の主たる要点ではない。原発反対論の主たる論点は、

(1)事故がなくとも、経済的に不合理。合理的に見えるのはコストを誤魔化しているだけ。
(2)30%しか発電に利用できず、70%の熱を海に捨てるのはとんでもない不効率かつ環境破壊。
(3)被曝なしに運営できず、弱者を踏みつけにする。
(4)原爆の材料になるプルトニウムの取り扱いが危険。
(5)そのための機密が社会のコミュニケーションに甚大な悪影響を与える。
(6)最悪の事態の最悪さがどこまでいくのかわからない。

ということである。

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こういう論争は不毛です。原発のリスクはゼロではないし、ゼロにすべきでもない。リスクをゼロにするには原発をすべて止めればいいが、それは解決にならない。同じ基準を適用するなら、自動車も飛行機も禁止しなければならない。本質的な問題は絶対安全かどうかではなく、経済性とリスクをどう評価するかという経済的なトレードオフです。
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そのトレードオフが成り立たないくらい、悪影響が大きすぎるというのが原発の問題点である。

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石井孝明さんもいうように、今のところ核燃料サイクルや安全対策のコストを考えても原発のkWhあたりコストは5.3円と火力より安い。この計算には疑問がありますが、100万kW級の規模が出せるのは原発だけです。
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は?
Wikipedia で火力発電所とひいてみたら?
たとえば東京電力の鹿島発電所の規模は以下。

総出力:440万kW(2011年現在)[2]
1号機
営業運転開始:1971年3月
定格出力:60万kW
2号機
営業運転開始:1971年9月
定格出力:60万kW
3号機
営業運転開始:1972年2月
定格出力:60万kW
4号機
営業運転開始:1972年4月
定格出力:60万kW
5号機
営業運転開始:1974年9月
定格出力:100万kW
6号機
営業運転開始:1975年6月
定格出力:100万kW

しかも、今の火力発電所は変換効率が50%を越えて60%に迫っている。


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太陽光などの再生エネルギーで原発を代替することはできない。原発はベースロードとよばれる基礎的な大規模需要をまかなうもので、再生可能エネルギーは不安定でベースロードにはなりえない。
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ベースロードというのは、ずーっと同じ量を産出し続けるというものだが、これは原発を作ってから、それを正当化するために捏造された概念に過ぎない。そんなものはいらないのである。必要な時に、必要なだけ作るのが合理的で、ずーっと電気を起こし続けるのは無駄である。原発は深夜は全く無駄な電気を起こすので、それをなんとかするために、エコキュートとかが無理矢理考え出された。こんなのも、資源の無駄遣いである。保存できない電気は即応性が重要であり、そもそも、ベースロードなど、代替する必要のない役割である。

太陽光や風力の問題点は、原発と同様に即応性に欠けることである。

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現実的にエネルギー単価で原子力と競争できるのは、石炭火力か天然ガス火力でしょう。これを再評価するには地球環境についての民主党政権の方針を再検討し、科学的根拠の疑わしい「温室効果ガス25%削減」の公約を撤回する必要があります。それでも化石燃料は早ければ数十年で枯渇する可能性があるので、原子力というオプションを捨てることはできない。イノベーションの可能性もあります。
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ウランこそ、限りある資源で、あっという間に枯渇する。

http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/dent-02.pdf

現在の低い技術でこの貴重な資源を浪費することこそ、許されない。

原子力が代替エネルギーたるためには、プルトニウムを用いた高速増殖炉を実用化しなければならない。しかし、それは不可能な技術である。原発に投じた資金で、化石燃料の効率的利用や、代替エネルギーの技術を推進していれば、もっとマトモなエネルギー構造ができていたであろうに。

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しかし企業のプロジェクトとして考えると、今回の事故で軽水炉は不経済な技術になってしまいました。損害と補償で数兆円ともいわれるリスクは、私企業では負担できないからです。したがって大前研一氏もいうように、今後も原発を推進するなら国がやるしかない。ここから先は安全か危険かという二者択一ではなく、日本の長期的なエネルギー戦略の問題です。
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企業のプロジェクトとしてできないことは、経済的に引き合わないのだから、やってはいけないのである。それが池田氏の信奉する経済学のイロハではなかったのか?

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誤解を恐れずにいえば、今回の事故で明らかになったのは、軽水炉のリスクはゼロではないが、最悪の条件でも多くの人命を奪うチェルノブイリ型の事故は起こらないということです。
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また出た!

必殺「誤解を恐れずにいえば」!!

これが出たら、絶対に嘘をついているのが、東大話法である。

今回の事故は制御棒が運良く入ったので、とりあえず最悪中の最悪をまぬがれただけである。

たとえば、浜岡原発が直下型のM8クラスの地震に襲われれば、長さ4メートル太さ1センチの細なが~い燃料棒が折れない保証はどこにもない。同じように脆弱な制御棒も折れてしまって、激震の最中に突っ込めない可能性が高い。そうして大爆発を起こしたら、圧力容器や格納容器はイチコロである。そこから吹出す放射能は、偏西風に乗って、確実に東京に流れる。東京に行かない場合は、名古屋・関西に行く。死者が百万単位になってもおかしくはない。

今回の事故も、いまから制御棒が崩れ落ちて圧力容器の底の水やあるいは格納容器の底の水と反応したら、水蒸気爆発が起きる。風向き次第では東京に死の灰が降る。

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最悪の場合に1万人以上が死ぬような技術は比較対象にもならないが、今回の程度ならトレードオフを考えることは可能でしょう。今回の事故を詳細に検討し、経済性とリスクを客観的に比較して国民が選択するしかないと思います。
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今回の事故がこのまま収束してさえ、長期的には1万人くらい死んでもおかしくはない。
原発のせいで死んだかどうだか、バレないだけである。
トレードオフを考えた場合、原発は全く成り立たないのである。

そればかりか今回の事件で、日本ブランドが国際的に確立した信頼が、完膚なきまでに崩壊した、その価値損失がはかりしれない。

原子炉に竹槍攻撃を仕掛けたために、今や

日本人はクルクルパー

だと思われている。東電のせいで、

日本の技術水準は低い

と思われている。

日本の食品・工業製品の全てに放射能が付いている

と思われている。

国際条約を無視して海洋に放射能を投下する野蛮国

だと思われている。

日本に観光に行ったら被曝する

と思われている。

長期的に見た場合、この風評被害による、

日本のブランド価値の損失は、数百兆円規模

だと私は思う。

今回の事故を詳細に検討すれば、そういうことがわかるはずだ。