信頼する皆様へ
ピースボートの小野寺愛です。
2011年3月11日(金)に発生した太平洋沖を震源とする地震から10日がたちました。被災者の方々に対して、心よりのご冥福とお見舞いを申し上げます。皆様とご家族がご無事でいらっしゃることを心より祈りながら、このメールを書いています。
私が働いている国際NGOピースボートでは、ここ数日間、4名の先遣隊スタッフが宮城県石巻市内に緊急災害支援の現地調査に入っていました。うち1名が今後の対策を練るため、今日東京に戻りました。
皆さまからご提供いただいた毛布や飲料水などの緊急支援物資を被災者の方々のもとへ届けましたが、現地の地震と津波による被害は甚大で、引き続き緊急支援が必要な状態です。地震発生から一週間、ライフラインの破壊や食糧の不足、冬の寒さの影響など、被災者の方々の体力の衰えが心配されます。ピースボートでは、とくに炊き出しによる支援活動に力を入れていくことを決定しました。
現在、被災地で避難所に身を寄せている人々は確認されているだけでも36万2877人、避難所の数は2200か所あります。まだ発見されていない避難所、避難所認定を受けていないけれど人が多数避難している場所もたくさんあります。日本赤十字社など大手機関、大手NGOが、各自治体の震災復興対策本部まで続々と物資を輸送しています。しかし、その物資をニーズのある避難所や孤立した人々へ届ける人手が、まったく足りていません。
石巻市の現状で言えば、人口16万人の都市に対してこれまでに現地を訪れたボランティアがのべ100人。本日、3/20に石巻市のボランティアセンターで行われた活動中の現地ボランティアの打ち合わせ参加者は、わずか20人でした。圧倒的な人手不足です。自衛隊も各避難所を訪れて食糧を提供していますが、どうしても保存食中心の配布になるため、1日3食すべてパンで済ませている避難所なども多いです。あたたかい食事を得るための炊き出しが急務です。
ピースボートでは、先週から炊き出しのための物資(以下のHPに詳細)を集めてきました。今週から、現地に炊き出し隊として向かうボランティアを募集し、説明会と研修を行います。政府のボランティア連携室、他のNGOや被災地の対策本部と連携しながら、毎週50人以上の人員を送り出せる体制を準備できています。
炊き出しは、今後数週間は続くことが予想されます。資金がまったく足りていません。炊き出しのための食材費、そしてその運送費用のご寄付をいただけたら幸甚です。ご協力をお願いいたします。
▼募集中の物資、寄付金振込先など詳細:
http://www.peaceboat.org/info/news/2011/110318.html
以下、数日間、石巻市で野宿を続けながら活動する現地スタッフ、上野祥法から昨晩聞き取りをした現地情報です。電話をしながら書き取ったメモですので、読み苦しい部分もあるかと思いますが、現地の雰囲気を知るには十分かと思います。
「石巻市では、市役所が災害対策本部、全国社会福祉協議会がボランティアセンターになっている。ピースボートや他NGOは、ボランティアセンターの登録団体として、石巻の対策本部とボラセンと連携しながら活動しているというかたち。
対策本部には、遺体の発見情報など、毎日、随時、張り出されている。その掲示板で家族の安全を確認して喜ぶ人、悲報の前に泣き崩れる人、泣き崩れる人を励ます近所の人がいる。その風景に圧倒される。区役所の死亡届受付窓口は1か所だけでは足りず、窓口を広げている。
まだまだ安否確認が取れない人も多数いるので原付チャリで町をまわり、助けが必要な人がいないか見回りをしている。町は全壊。泥と瓦礫がそこらじゅうにある。道を作るために、ブルドーザーなどで泥や瓦礫をガガガーっとよけて、道をあけている中で遺体が次々に出てくる。
町が全部飲みこまれている。風景を見るだけでも自分が飲み込まれるような思いになるが、ここに一人ひとりの生活があったと思うとやり切れない。何万人ぶんものかけがえのない日常が、一気になくなっている。自分の家があった場所で立ち尽くしているだけの人もいる。自分も、昨日までは声をあげて泣きながら、支援物資を配り歩いていた。深夜、活動を終えて、やり場のない想いがどうしようもなくなって妻に電話し、大声で泣いた。そうやって感情を消化しなければ、前に進んでいけない。
すでに避難所として対策本部に登録された場所のケアさえままならない中、「避難所認定」されていない(=だから優先的に支援されない)けれど人が集まっている場所もまだまだたくさんある。そして、発見されていないままの避難所もある。
東北人の気質として、自立というか『施しを受ける』ことに皆さん慣れていないようだ。とにかくじっと我慢してしまう。たとえば、家が全壊した人は他に行くあてもなく避難所に来るが、1階だけ浸水する、半壊する、などの人は、そのまま家に踏ん張ってしまう。家が半分残っていても、電気も水道も食糧も、ライフラインが何もない状態に変わりはないが、それでも家を離れない。ようやく一度、食糧確保に避難所に行き、また久しぶりに家に戻ったら火事場泥棒が入っていて、何もなくなっていた、というケースもいくつも聞く。
「人に頼るなんてできん。みんな大変な中、自分は一部だけでも家が残っているのだから」とただ耐えている人を見るのが辛い。今日で震災から10日目だけれど、それまでバナナ1本で過ごした人にも会った。瓦礫で孤立した小学校が5日前に見つかったが、そこにいた70人はそれまで一切飲まず食わずだった。
昨日くらいから突然救急車の出動が多い。避難所もぎゅうぎゅう詰め。暖房器具もないが、かたい廊下に毛布1枚だけ敷いて寝ている。障がいを持ったお年寄りから子ども達までが同じ状態で過ごしている。
自分自身は野宿しているが、防寒着を6~7枚来て寝袋に入り、さらにその上に毛布2枚でホッカイロまで使う。それでも寒くて目が覚める。そんな状態で、避難所の中とは言え、お年寄りも子どもたちも毛布1枚。個人的推測だが、常備薬がなくなった人、体調崩す人が増え、限界にきていることが救急車が増えた理由ではないか。
市の職員も3割死亡している。職員のほとんどが災害が発生してからただの一度も家に帰っていない。自分の家族の安否もわからないまま、地域のために働き続けている。完全にオーバーワーク。行政も全体像をまったく把握できていない。まだ見つかっていない人の情報、発見されていない避難所をみつけて聞き取りを集めてくるのがNGOの仕事になりつつある。
今日、はじめて、現地入りしているボランティアの人々全員が顔を合わせて情報共有した。これまではそれぞれに場当たり的に動いていたが、今後はデータベース作りをはじめ、情報共有をすることを決めた。それぞれが得意とする分野での役割分担、地域分担も行った。現在、石巻市では6団体が活動している。今日の打ち合わせには20人が参加していた。今日の昼間まで(1日で帰った人も含め)のべ100人のボランティアとして現地入りしている。
避難所暮らしの人脳のうち、親戚がいるなどで他県に出ていける人はすでに出ていっている。ある町の避難所人口4900人から一晩明けたら700人いなくなっていたりしたこともあった。
そんな中、今後必要なのはそれでも避難所に残るしかない大多数の人々のためのケア。行政職員と交代しながら安否確認の業務など行うNGOボランティアを行政も募集している。完全な復興までの間、とてつもない大人数が必要になる。
家を失い、避難所に身を寄せる人々の多くは、今の暮らしが一時的なものではなく、長く続くものだという覚悟をしはじめた。今後、たとえば木の床の上に畳を敷き詰める、個人のプライバシースペースを確保するなどのケアが必要。ヘルパー、ケアマネージャー、カウンセラーなども数週間後には必要になってくる」
聞き取り内容は以上です。
大きな組織や自衛隊では手が回りきらない小さな避難所や集落がまだまだたくさんあります。民間組織にしかできないことがある中、小さな組織で今後数ヶ月炊き出しを行なうには、資金が圧倒的に不足しています。野菜、米など食材の支援、鍋やカセットコンロなど炊き出し機材の支援、食材費や輸送費の支援にご協力ください。御家族、ご友人と情報を共有いただけたら幸甚です。どうぞよろしくお願いいたします。
▼募集中の物資、寄付金振込先など詳細:
http://www.peaceboat.org/info/news/2011/110318.html
一日も早く、すべての人々、子どもたちが安心して明日を楽しみにできる日が訪れますように。
ピースボート 小野寺愛