3月11日に発生した「東北地方太平洋沖地震」が発生しました。現在は、福島県の原子力発電の放射能漏れ事故に注目が集まっています。たしかに、国としては、現在の最優先事項であるとは思います。しかし、被災地は福島県だけではなく、また、津波の災害が多かった宮城県だけでもありません。茨城や千葉でも影響があります。

 そこで、フリー編集者の渡部真さんと一緒に、16日、茨城県水戸市へ。県の災害対策本部や水戸市内の避難所へ行きました。水戸市内の避難所のうち、水戸駅付近の三の丸小学校に設置されている避難所へ行きました。

 市では3交替で職員が対応しています。

 責任者の職員によると、避難所にいたのは、15日には134人。16日も150人弱といいます。三の丸地区の住人が多いが、福島県からの避難民もいるという。茨城県が受け入れることを決めたが、その前から福島県から避難する人がいた。

 地区の住民以外には、駅近くの当日たまたまいた人で帰れない人もいる。高齢者が多い印象だが、4歳児がいた。赤ちゃんもいる。当初は電気や水道がだめだったが、回復している。ここにくるだけで安心感があるという。

 ちなみに、職員さんの話では、地震の時は立っていられないほど。逃げられない。どうしていいかわからない、と思ったといいます。長い時間で、いつ止まるのか?という感じだった。「ロッカーも倒れたのは初めて」とも話します。そして、家族の無事を確認するが、携帯がつながらない。

 様々な人たちが、公共施設に集まって来た。避難所とか知らない。指定されていない場所も避難所になっていた。避難所には近所の人も食事を取りにくる。直後はコンビニにたくさんの人が集まり、長蛇の列だったが、月曜日にはコンビニが開く。

 水道は止まっていた。当初は、避難所のトイレに関しては、学校の屋上にあるプールの水で流していた。翌日の朝から水道は開通した。

 また、障害者や老人で特別のケアが必要な人は保健室を提供したといいます。しかし、緊急性が高い人はいなかった。

 被災地に行くまでもいろんな人から電話やメールで話が入ってくる。報道に携わる知人は、仙台出身。いまだに両親と連絡がとれません。しかし報道する側なので動くこともできない。携帯電話もつながらない。そんな心配の中でも報道を続けている。

水戸市内は見た目には平穏だが、やはり開いている店は少なく、夜になると電気が消えている。こうした時、最も影響が出来るのは、一人暮らしの高齢者や障害者。当初よりは避難所に来る人は少なくなったが、残っている人の中に、そうした一人暮らしの人が多いように感じた。

 水戸市内の避難所での話。元介護職の女性(60)は、避難所で一緒だったおばあさんが認知症だとわかり、自分も大変というのをわかりつつも、おばあちゃんの心配をしていた。落ち着きを取り戻したのは家族が無事と分かった後。しかし電車も動かず、ガソリンもないのでまだ会えない。「早く顔をみたい」

 大学入試の下見に水戸に来ていた高校生(18)。自宅は石巻。前期試験がうまくいかなかったので、後期にかけていた。どうなっているか心配で常にYahoo!ニュースをチェック。避難所生活二日目になって、他の大学の下見にきていた同級生(18)と偶然、会う。

 2人の高校生は石巻在住で、津波の被害にあった場所の近く。家族と連絡がとれるまでは不安だったが、無事を確認している。ただ、友達とは連絡がつかない。2人のうち1人は「友達とは連絡がつかない。メールをしたいが、もし返ってこなかった嫌なので、メールをしていない」と話している。