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I'm A Fool To Want You
Billie Holiday


何年も前から、ビリーは病に侵されていた。両脚には浮腫が出現していたし、何よりも肝硬変が悪化していた。それでも彼女は酒を止めることができなかった。朝から晩まで酒を飲み続けた。2回目のヨーロッパ・ツアーで彼女は疲労していたが、数ヵ月後には再びロンドンへ渡り、『チェルシー・アト・ナイン』というテレビ番組に出演している。帰国は困難を極めた。1959年3月15日、ビリーはレスター・ヤングの訃報を耳にする。埋葬のとき、レスターの妻はビリーが唄うことを拒絶、嘆きと悲しみにビリーは泣き崩れる。葬儀からの帰路でビリーはこう呟いたと伝えられる…『あいつら、唄わせてくれなかった。この次はあたしの番だわ』。

翌4月7日、彼女は44歳を迎える。マサチューセッツでの複数の契約を果した後、5月25日にはニューヨークのフェニックス・シアターでのチャリティー・コンサートで唄っている。舞台裏では友人たちが彼女のあまりの変貌に驚き、ジョー・グレイザーなどは彼女を入院させようとするが、彼女は聞き入れなかった。5月30日、彼女は自宅で倒れ、ハーレムのメトロポリタン・ホスピタルに入院を認められる(その前にニッカーボッカー病院で入院を拒否されたのは、麻薬常習者は昏睡状態にあっても受け入れられないという理由からだった)。

肝硬変以外にも、腎不全の診断が下される。メタドン治療が施され、少しずつ回復するかに見えた。アルコールと煙草は禁止されていたが、ビリーは隠れて喫煙を続けた。更に悪いことに、6月11日、彼女のハンカチ箱の中から僅かな白い粉が発見される。彼女は逮捕され、病室で何日間か警察の監視下に置かれる。裁判は彼女の回復を待って行なわれることになった。回復は順調に見えたが、7月10日、病状は急変する。腎臓感染と肺鬱血が認められた。ルイ・マッケイとウィリアム・ダフティが病床に駆けつけた。7月15日早朝、ビリーはローマ・カトリック教会の最後の秘蹟を受ける。

1959年7月17日朝3時10分、ビリー・ホリデイ、歿。 44年の生涯であった。

葬儀は1959年7月21日、セント・ポール教会で行なわれた。3,000人の群集が参列し、人の波はコロンバス・アベニューまで続いた。遺体はブロンクスのセント・レイモンド墓地にある母親の墓石の下に埋葬された。1960年、ルイ・マッケイは彼女の棺を別の墓に移動させた。その死に当って、ビリーが唯一の相続人であるこの前夫【まだ離婚手続きは完了していなかった】に遺したのは1,345ドルであった。しかし僅か6ヵ月後の1959年末には、彼女のレコードの印税は10万ドルに上った。

ビリーが使った金額と、彼女が騙し取られた金額とのバランスは如何に評されるべきであろう。

尚、彼女を死を悼んで彼女の伴奏者であったマル・ウォルドロンが「Left Alone (レフト・アローン)」を制作している。





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