聖句  新約聖書 マタイによる福音書第28章1節~10節

さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。
すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。
その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。
見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。
この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。
そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。
あなたがたに、これだけ言っておく」。そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。
そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」。


2011,04,24 全世界のキリスト教会はこの日をイースター(復活祭)として重要な記念日として祝います。

私は現在、海外の金融に関わるお仕事をしていますが、イースターはクリスマスと同じくらい、休日の国々が多いんです。だから、仕事上その期間、取引の少なさをひしひしと感じるわけです。

それだけ、世界にはキリスト教国家が多く、イエス様の復活を重要視しているのです。


H牧師もこう仰っておられました。
辞書によると、キリスト教とは、イエス・キリストを信じる宗教ではなく、イエス・キリストが復活されたと信じる宗教である。

しかし、このイエス・キリストの復活という内容が、イエス様が十字架に掛けられ三日後に肉体を持って復活されたのか、はたまた霊的に復活されたのか、その真相はわからず、解釈が様々であり議論しても終わりの無い結果が、キリスト教をたくさんの宗派に分裂させてしまったのだといいます。



イエス様の名は後にキリスト教の開祖として全世界に知れ渡りましたが、
この世を去るときには寂しく、世の人から全て反対され、憎まれ、12弟子にも見捨てられた立場で、孤独にこの世を去りました。
何故そのような亡くなり方をしたにも関わらず、イエス様はこのように世界に名を轟かせる存在なのでしょうか?

神学的にイエス様が肉体を持って復活されたのか、霊的に復活されたのか、その論争となるところの真相はわかりません。

ただ、自分の身の危険や自分の死を恐れてイエス様を最後まで信じることが出来なかった、12弟子たち。例えば自分の不甲斐なさゆえに、不信仰のゆえに最愛のイエス様を亡くしてしまったペテロは、三回イエス様を知らないと言ってしまった予言どおりになってしまったと気付いたとき、激しく泣きました。

そして、イエス様は蘇り、ペテロや弟子たちの前に現れ、語りかけます。

ペテロはどんな気持ちだったでしょうか?

情けない自分に対して、変わらず愛してくださるイエス様によって救われ、もう二度とイエス様を裏切らないと誓ったのです。イエス様が復活されたことにより、ペテロが再び生き返り、復活することが出来たのです。

その後のペテロはイエス様の福音を世界中に述べ伝えました。


復活祭は、イエス様の復活と共に、弟子たち=世界中の兄弟姉妹つまり、私たちも再び生き、復活したということを祝う日なのだということです。


私は、文鮮明先生を再臨主と確信する者です。
そのような統一の信徒であるからこそ、イエス様の復活、弟子たちの復活、イエス様の愛と赦しの世界に心情的実感を抱いて生きたいと思います。

神様の愛によって世界が一つになれると確信し、祈りを捧げる者です。





最後まで読んでくださり誠にありがとうございます。
あまり更新できていませんが、来訪してくださる方や、ペタくださる方や皆様に感謝です。
よろしければ日本ブログ村クリックをお願いいたします、

↓  ↓
にほんブログ村 聖書・聖句


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村


ペタしてね