こんばんは☆
日曜日いかがおすごしでしたか?

今日はだんなさんと統一教会(統一協会)の礼拝にいってきました。

本部から、矢野先生(温和でユーモアたっぷりの牧師先生!)をお迎えして、
説教をいただきました。

「朽ちない冠を得るために」と題してお話してくださいました。

矢野先生がいつも原点に帰ろうとするとき読まれる聖句を教えていただきました。

”あなたがたは知らないのか。
 競技場で走るものは、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。
 あなたがたも、賞を得るように走りなさい。
 しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。
 彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、
 わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。
 そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方はせず、
 空を打つような拳闘はしない。
 すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。
 そうしないと、他の人に述べ伝えておきながら、
 自分は失格者になるかもしれない”   コリントⅠ9/24-27


人に言うくらいに自分が(実行)していたら、もっと”ましな”人になる。
そう先輩から言われたことがあったそうです。

私の内面、心、信仰がどれほど成長したのか?
成長した分、神様の願い、心情がわかり、神様のみ旨が進む。

朽ちない冠 とは、み旨(天国をきずく、平和な世界にすること)に責任を持つこと。

そして、自分の責任分担や立場には関係なく、
常に、精誠(努力)を積み、謙虚に人のために生きること が大切だとお聞きしました。

そして、ドラッカー(経済学者)のマネジメント(国進様推進の本)の一文を紹介してくださいました。

イノベーション(革新)とは、大それた事を起こし、するものではなく、
明確な目的観と、よく観察、練られた分析と凡人の地道な努力の継続である、と説明されているそうです。

人を諭すこと、正すことが私たちのするべきことではなくて、
自分自身の成長 に集中するべき!と分かりました。

そして、み言を学んだら、自分の言葉で整理をし、その後、祈ります。
そうすると、目的性が明確になるので、逆境でも ぶれない そうです。

わたしたちの”成長”とは、ある面、
神様の心情(願い)が分かる者になること、ではないでしょうか?

み言の背後の神様の心情と出会った分、
周りの方に自然と伝わり、文先生がなにも語らずに多くの方を伝道されていったように、

わたしたちは、自分ときちんと向き合い、成長することに妥協せず、人任せにせず、
黙々と努力しずつけること(精誠の継続)でより良い変化をもたらすことができるのでは、と思いました。

ちょうど だんなさんと最近ドラッカーの話をしていたので、
とても心に響きました。毎日の努力、がんばろう♪と思いながら帰ってきたのでした♪

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