You don't know what love is | ONZA★HEAVEN

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John Coltrane
You don't know what love is
恋の味をご存知ないのね
ballads


13歳でクラリネットを始める。後にアルト・サックスに転向し、1946年よりプロとして活動開始。1949年にディジー・ガレスピーのバンドに参加し、その後テナー・サックスに転向。ほとんど無名のままいくつかのバンドを転々とした。レコーディングの機会にもあまり恵まれず、この時期のコルトレーンの録音はごくわずかしか残っていない。

1955年にマイルス・デイヴィスのグループに入る。マイルスはすでにジャズの大スターであったため、マイルスバンドに抜擢されたコルトレーンもその名前が知られるようになり、マイルスバンド以外のレコーディングの機会も多くなる。しかしこの時期のコルトレーンの演奏は決して評判のよいものではなかった。

1957年に一旦マイルスバンドを退団。その後はセロニアス・モンクのバンドに加入し、モンクから楽理の知識を授かるとともに音楽的修業に一層打ち込む。また同時期に麻薬中毒も克服。同年3月にマイルスバンド時代の同僚であったピアニストのレッド・ガーランドの紹介でプレスティッジ・レコードと契約。5月には初リーダー・アルバム『コルトレーン』の吹き込みを行っている。

同年7月にニューヨークのライブハウス「ファイブ・スポット」にモンクバンドとして出演し、好評を博す。コルトレーンはこの月「神の啓示」を得たと語っている。「神の啓示」が本当に意味するところは本人にしか分からないが、この月以前に録音されたトレーンの演奏はどこか不安定でぎこちなさが残っていたのに対し、この月以降に録音された演奏はどれもが自信に満ちたものに変わっており、本人の内面に何らかの大きな精神的変化が訪れたものと考えられる。いずれにせよ、1957年7月は20世紀を代表する一人のジャズの巨人が誕生した月として記憶されるべき月となる。9月にはブルーノート・レコードにて初期の代表作『ブルー・トレイン』を吹き込んでいる。

1958年、モンクの元を離れ、マイルスバンドに再加入。マイルスはこの時期、コルトレーンをソニー・ロリンズと並ぶ2大テナー奏者として高く評価した。また音楽評論家のアイラ・ギトラーは同年『ダウン・ビート』誌において、音を敷き詰めたようなコルトレーンの演奏スタイルを「シーツ・オブ・サウンド」と形容。以後、この形容は初期コルトレーンの奏法の代名詞となる。一方、コルトレーンのソロはいつも長かった。また常にフォルテッシモで速いパッセージばかり吹き続けたため、彼の演奏はぶっきらぼうで怒っているように聴こえたことから、Angry Young Tenor Man(怒れる若きテナーマン)と揶揄されることもあった。





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