今日はこの話に触れざるを得ないだろうな(苦笑)。

新・鉛筆芸者の断腸亭日乗 

> 「放射能がくる」の表紙に批判、アエラが謝罪
>
> 朝日新聞出版発行の週刊誌「アエラ」は20日、
> 東京電力福島第一原子力発電所の事故を取り上げた
> 19日発売の3月28日号について、
> 簡易投稿サイトのツイッター上で
> 「ご不快な思いをされた方には、心よりおわび申し上げます」
> と謝罪した。同誌は表紙や広告で、
> 防護マスクをした人の写真に「放射能がくる」と見出しを付けた。
> ネット上で「福島の風評被害を広げるのか」との批判があり、
> ツイッターで「表紙及び広告などに対してご批判をいただいています。
> 恐怖心をあおる意図はありません」と釈明し、
> 謝罪のコメントを出した。朝日新聞出版管理部は
> 「ツイッターに掲出したコメントにあるとおりです」としている。
> (2011年3月21日12時58分 読売新聞)

このニュース、さっそく週刊誌編集者の間で話題になっていた。
いろいろ話を聞いたうえで、俺はツイッターでこうつぶやいた。

> アエラの表紙が批判されていることに、
> 不満を覚える編集者、意外に少なくないんだね。
> しかし、そこで表現や言論の自由を振りかざすのは
> 違うんじゃないか。むしろ、不支持の輪が広がった事実を
> 厳粛に受けとめるべきじゃないのかな。


俺の言いたいことはそういうこと。

あ、それじゃ話が終わっちゃうか(笑)。

もう少し細かく指摘しておこうかな。
俺が聞いた編集者・記者の声に沿うような形で。

当事者がこのブログを見たら怒るかもしれないけど、
そこはご寛恕のほどをm(_ _)m。

▼表現の自由、言論の自由はどうなる?

おお、いきなり憲法を持ち出すか(笑)。
ネットやツイッターで猛烈に批判されただけであって、
発売禁止になったわけじゃないからね。
言ってしまえば、表紙の写真、見出しに
多くの人が「不快感」を覚えて
それが大きな「声」になったということ。
つまり「販売物」としてマーケットから
たくさんの「NO」を突きつけられたって話じゃん。


ここであらためて押さえておきたいのは、
新聞だろうが出版物だろうが、
金銭を対価にした売り物であるという
ごくごく当たり前の事実。

もちろん報道機関の発行物であれば、
時として都合の悪い情報を載せなくちゃいけないんだけど、
広告依存メディアでもない限りにおいては、
売れなければ(=マーケットで支持されなければ)話にならない。
せっかく取材した貴重な情報も発信・拡散できない。
であれば、世論におもねらずとも、
マーケットに支持されるレベルをキープするのが、
ジャーナリズムで飯を食う人間の責務じゃないだろうか。


人を説得・納得させられなければ意味がないもんね。

▼表紙だけを批判するのはどうなの?

表紙は雑誌の顔であり賭場口でもある。
不快にさせる玄関を見てその家に入ろうと思わないのと同じかな。
また、表紙は誰でも読める「最初の記事」であり「宣伝物」。
たくさんの候補カットから写真を吟味し、
デザイナーや編集者が知恵を絞って見出しを載せるのだから、
もっとも創造性が発揮されるページでもある。
そこを批判されたのであれば、雑誌自体を否定されたも同然と思う。

▼「批判」一色になっているのはどうなんだろう?

いや、むしろ逆だと思う。
「あの表紙に違和感はないが、なぜすぐに謝罪したのかわからない」
といった意見もツイッター上では広がっている。
ツイッターは今や賛否両論渦巻く「議論の坩堝」だ。
もしかしてツイッターを以前話題になった某巨大掲示板と
同じような類と思っていないか、と聞きたくなったんだよね。
フォローする相手にもよるのかもしれないけど。

▼危機や不安を煽る見出しは週刊誌の「お家芸」では?

俺、このスタンスにずっと疑問だったんだよね。
「お家芸」だとしたら古すぎるよ。
断絶したほうがいいかもしれない(笑)。


時代劇を見ればわかると思うけど、人様の興味を引いたり、
不安を煽ったりしたのは、江戸時代の瓦版屋だ。
情報が極めて乏しい時代の手法だと言っていい。
今はむしろ逆。既存メディアにソーシャルメディアが加わって、
むしろ情報過多なぐらい。そのなかで断片的な情報を取捨選択して、
意味づけをして理解を深めることが求められているのであって、
理解の邪魔になるような情報は要らないと判断されても仕方がない。

たとえばソーシャルメディアでは、
首相官邸や東京電力の記者会見の内容を
信じるに足るか否かの議論がずっと継続している。
前回の繰り返しになるけど、
原子力問題に詳しい専門家やジャーナリストが
ツイッターやUstream、ニコニコ生放送に出演して、
「大本営発表」的な情報を傍証的に検証している。

番組のタイトルだって全然煽っていない。
「原子力問題の専門家○○○さんに聞く」とかだぜ。
いや、記者会見をダダ漏れしているだけの番組もある。
それでも番組は十数万人の視聴者を引き寄せている。
もちろん無料だからというのもあるだろうけど、
そんじょそこらの雑誌よりもたくさんの人を惹きつけているんだから。

これってマスコミ不信に起因しているんだろうけどね。
1次情報を自分の耳目で直に判断したいという意識の表れだと思う。

そこから見えてくるのは、
ソーシャルメディアの利用者が氾濫する情報の中から
“真相”を見つけようとする必死な姿だよ


今回のアエラ編集部が謝罪するに至ったのも、
ソーシャルメディアの利用者からの猛反発が
きっかけだったわけだけど、
もし利用者を相手にしない媒体だと割り切っているのなら、
批判を黙殺して現状のまま押し切るという
選択肢があっただろう。
「これが編集方針だ」というのなら。

でも、アエラ編集部はそれを貫かなかった。

ソーシャルメディアを侮れないと見たのか、
やはり「やりすぎた」と感じたのか。

その辺はよくわからないけど、これだけは言えると思うなあ。

既存メディアはソーシャルメディアによって
厳しくチェックされている、ということ。


それはそれでいいんじゃないかと俺は思う。
国家権力に介入されるよりマシだし、
うまくソーシャルメディアと折り合えば、
時代の空気をうまくつかめるんだから。


ともあれ、非常に示唆に富んだニュースだったなあ。

・・・また長文をダラダラと書いてしまった。

すみませんm(_ _)m