差別しているのは子どもだけじゃない | 自己治癒力向上大作戦

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差別しているのは子どもだけじゃない

という切なくなるような話を耳にしました

都内の某医療機関にお勤めの助産師さんが目の当たりにした現実です

病院への問い合わせに
「そちらでは福島からの避難者を受け入れてたりはしないでしょうね?」
という問い合わせが少なからずあるそうです

強い口調で、そういう病院へは行きたくないという思いが伝わってくるそうです


ガソリンスタンドには「福島ナンバーお断り」
という張り紙を貼っているところもあるそうです

放射能が伝染するとでもホンキで思っているのでしょうか




たぶん、そうではないと思います…思いたい




「排除したい」という欲求の根底にあるもの
それは「不安」ではないかと思うのです

恐れる対象があるときに感じるのが「恐怖」
実態の無いものを恐れているときに感じるのが「不安」

「ああなったらどうしよう…」「こんなことになったら…」
と勝手に恐れているのは自分自身なのに
「誰かに脅かされている」と誰かや何かのせいにしたい

そんな気持ちがふつふつとわきあがった時に
「排除したい」という欲求が首をもたげたのに気づいたことがありました

もちろん、本当に危険なものや害を及ぼすものは
身近に置きたくない、離れていたい、逃げた方がいい

けれど、それでも排除するのではなく
折り合いのつく距離を保つことを選んだ方がいい


原発は文句なしにアブナイです
でも、福島から逃れてきた人のどこが危険なのでしょうか?


大切なものをたくさん失ったひとたちが
これ以上の悲しみや絶望を抱えずに済みますように!




先の話をしてくれた彼女の、福島のお友達は
「福島のせいでこんなことになってゴメンね」と申し訳なさそうにしていたといいます

私たちがOKと言ったから原発がそこに建つことになって
私たちはそこで仕事もお給料ももらって
そしてこんなことになった

それが申し訳ないのだと…


原発を受け入れた町のひとたちのせいで
こんなことになっているなんて
それこそわたしの「想定外」の発想でした

リスクはほとんど伝えることなく
オイシイ話を札束をちらつかせるかのごとく繰り返し
息のかかった学者を連れてきて安全だと繰り返させ
そんなことを続ければ
催眠術にかかったように「安全なんだ」「暮らしが豊かになるんだ」と
洗脳されてしまうだろうことは想像に難くありません


その手口に関しては汚いと思い続けてきましたが、
原発を受け入れた町に住む人については
少し気の毒に思ったり
残念に感じるだけで
これまでも、これからも責めるような気持にはなれません


多くの人がわたしと似たような心境だと思います

差別するのはほんの一部、わずかな人だと信じたい



ただ、これからは
私たちの次の世代に何が残せるのかを考えて
行動できる人が増えるといいな

かりそめの豊かさではなく
過去や未来にもつながる豊かさをめざしたい




水木しげる先生が週刊文春に書いています
「震災被害は戦争体験と似ているけど違うんですよ。戦争のときは皆が生きるか死ぬかって瀬戸際に追い込まれたでしょう。今回の場合は、亡くなった人たちは気の毒だけど、生き残った人が生きるか死ぬかってことはない。本人が生きていれば、あとはどうにでもなるんです。」


福島をはじめ、被災された方々には、ひとつ
「図太くなって」これからの人生を愉しんでいただきたいと思います