【前半】FM岡山「Chicago Poodle花沢さんが美星中学校で授業」レポ | しゃらしゃらぽん!

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大好きな音楽についてぐだぐだ語る自己満日記(*´Д`*)

今日はFM岡山で、Chicago Poodleの花沢さんが美星中学校を訪れて

1時間の授業をした様子が放送されました。私は岡山の県境に近いので

聴くことができましたが、聴くことができなかったぷぅらーさんも

たくさんいると思ったので、パソコンでレポを書きました(´ω`)

誤字脱字があったらすみません(´;ω;`)

長いので前半と後半に分けました\(^0^)/


以下、花沢さん:花

    FM岡山DJ牛嶋さん:牛

    生徒さん:生



【花沢さん登場】


花「どうもー!」
生「わー!(拍手)」
花「こんにちは!」
生「こんにちは!」
花「わー、元気がいい」
牛「いやーすごいよ、さっき俺のこと知ってる人は誰も手あげなくて
  シカゴプードル知ってる人って言ったらみんな手あげてた」
花「えー!(シカプーのこと)知ってる?」
生「はい!」
花「あー嬉しい」
牛「この知名度の違い!100パーセント」
花「100パーセント」
牛「すごい。やっぱりいかに美星で印象を」
花「そうですね、曲をね、作ったんで」
牛「ということで、今日はピアノがあるんでまずは1曲どうだろう」
花「そうですね。美星町の曲を1曲、歌いたいと思います」
生「わー!!(拍手)」

【~Twinkle Little Stars ~星が降る町~ 弾き語り】
あたしがシカプーに再会して、こうしてシカプーの大ファンになったのは

この曲がきっかけなので、めちゃめちゃ嬉しかったです。

牛「ということでまずはTwinkle Little Stars ~星が降る町~から

  スタートしたわけですけどもね。いやーでもほんとに懐かしいなー

  っていう気がするね。今から2年前に」
花「そうですね。今から2年前に美星で生まれた曲を」
牛「あのときは普通に『星を観にいこうぜ!』っていう

  気軽な呼びかけに答えてもらって」
花「そうですね」
牛「だから別に『曲作って!』とかそういう要求はしなかったしね」
花「そうなんですよね、だから凄い満点の星やって、美星町の星が。
  で、星が降ってくるのと同時にメロディーが降ってきたというか」
牛「なんか、途中でいなくなるシーンが」
花「はい(笑)」
牛「なんでいなくなっちゃったんだろう?って。

  そしたらなんか録音してたんだよね」
花「そうですね。まあ、TLSのワンフレーズが降ってきて、それをちょっと
  書き留めというか、録り置きというか、なんかそういうのを

  素材として持ち帰るために、携帯電話で。」
牛「じゃあ大体そういう曲ができるときっていうのは

  そういう急に降りてくるっていう」
花「そうですね。降りてくるときもあれば、イメージしながらであったりとか。
  まあ結構やるのが、映画のエンドロールが流れているときに
  例えば自分やったらこのエンドロールの曲じゃないのになーって」
牛「勝手に書き換えちゃうんだ」
花「勝手に書き換えます」
牛「で、自分の方がいいぞ!みたいな」
花「そうですね(笑)」
牛「そうかー確かにあるよね」
花「結構イメージにとってるというか、俺やったらこの曲やけどなーって。
  まあ例えばほんまに星を観たりとか何かを見たりして

  感じて曲を作るときもあれば、様々です」



牛「今はプロとしてライブまたはCDのリリースとか色んな

  活動をしている花沢くんなんですけど、そもそも音楽との出会い

  っていうのはいつだったんですか?」
花「そうですねー、3歳の頃に母親に無理矢理ピアノを

  習わされられたんですよね。初めはほんまに嫌で嫌で、

  ピアノを見るのも嫌やしもう練習するのも大嫌いやったんですけど、
  小学校5年生くらいまで続いてまして。でもあまりにの僕が練習しないんで
  そのとき習ってたピアノの先生から

  『もうこの子は何やってもピアノは無理です』

  っていう感じで、月謝払ってたのにクビになりまして。前代未聞です(笑)」
牛「それは珍しいですよ」
花「けどそこで1回ピアノをやめたんですが、中2のときにまた新たに

  音楽の先生が男の先生やって、その先生がよく歌謡曲やJ-POPを

  ピアノで弾いてたんですよね。その姿がすごいかっこよかったんで。

  そういえば俺もピアノやってたしその先生に感化されて

  『もう1回はじめようかな』って。そっからはピアノはもうがむしゃらに

  大好きやったんでやりましたね。」
牛「やっぱりこう、やらされ感があるとね」
花「そうですね。やっぱり好きこそものの上手になれじゃないですけど
  本当にそれを好きになればそういうこともやるんやなって」
牛「で、実際にプロになろうと、なりたいな、っていうのはいつ頃から」
花「なりたいなーっていうのは特になかったんですよ。

  ただ高校くらいのときからオリジナル曲っていうのをずっと作ってまして、

  その頃から作曲にちょっと芽生えてまして。で、大学入った頃くらいに

  そのオリジナルソングも溜まってたんでこれをまず形にしたいな、

  っていうので手っ取り早くバンドを組んだんですけど。

  それがChicago Poodleやったと。で、そのオリジナル曲をやるバンド

  『Chicago Poodle』をずっと続けていくにあたって大学の3回生、4回生くらいに

  なったら周りは就職活動をしていくわけで、『俺らどうする?』って

  話をしてたんですよ。でも音楽もええ感じになってきたし、
  でも周りや両親とかも『どうすんねん』『どこ行くねん』って言われてたんで
  どうしようかなって思ってたんですけど、その時ちょうどいいタイミングで
  京都学生祭典っていう音楽コンテストがありまして。そのビラを見たときに
  これでちょっと俺らのきっかけにしようじゃないけど、これであかんかったら

  きっぱり音楽やめようか、みたいな感じになってたんですよね。

  で、その京都学生祭典でグランプリをもらって。

  そっから『俺ら音楽いけるかもしれへん』って。まあ初めはね、

  ぶっちゃけ裏話やけど、賞金が100万やったんですよ」
生「(笑)」
花「その賞金にものすごく惹かれて、でもまあそういうのもきっかけで
  グランプリとってから両親に言ったら

  『すごいやんけ。まあ1回やってみろ。とことん音楽やってみろ』
  って言ってくれたんで、今こうやって音楽できるようになったんやけど」



牛「花沢少年の中学時代はどんな中学時代だったかなあ?」
花「中学時代ですかー、まあ友達は少なかったですね。
  小学校の頃にね、まあこんなん言うとあれなんですけど、
  まあ今はね、全然楽しく受け止められるんですけど、
  いじめみたいなんに遭ってて。それがすごくあったんで、
  中学のときは人と話すことが苦手やったんです。
  これ言ったら相手に嫌われるんちゃうかな、とか
  そういうのは中学のときはすごいありました。
  だからこそ、マイナスやったときやからこそ、音楽とか
  感動するものに対してすごい敏感な少年やったと思います」



牛「どうでしょう。まだこれから高校、大学と

  人生を歩んでいく皆にメッセージを」
花「そうですね、まあ中学でずっとピアノをやってたんですけど、

  やっぱ何か1つ、うちこめるものを見つけてほしいな、って。

  それは何でもいいんですよ。スポーツでも、それこそ友達でもいいし。

  でも何か1つそれを身につけることによって絶対将来得するんで。

  得するというかマイナスになったときやヘコんだりするときも
  あるじゃないですか、大人になったとき。そういうときに

  そういうものが救ってくれるんで。だから何か1つ見つけて、

  うちこめるものを全力でやってほしいな、と思います」

【GET UP!!~不屈のファイティングマン~】

http://www.youtube.com/watch?v=dzPlf72wWFk



後半に続きます(´ω`)