When You're Smiling | ONZA★HEAVEN

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Billie Holiday
When You're Smiling


バンドから独立しニューヨークに戻ったビリーはクラブで唄い続ける。契約はジョン・ハモンドが取ってきたが、とりわけ「カフェ・ソサエティ(“Cafe Society”)」の専属歌手としての仕事は特筆に値するだろう。ニューヨークに開店した「カフェ・ソサエティ」は、出演者も観客も人種を問わず同席できる、当時のアメリカでは革新的なクラブである。ビリーの酒量が増え、舞台の合間にマリファナを吸うようになったのはこの頃だ。また彼女がレズビアンとの関係を重ね、「ミスター・ホリデイ」の異名を取ったのもこの時期であった。

1939年3月、ルイス・アレンという若い高校教師が一篇の詩を綴り、それを読んだビリーは強く心を動かされた。それこそが、"Strange Fruit"(『奇妙な果実』)だったのだ。人種差別とリンチによって殺された黒人が木に吊るされている、残酷でおぞましいアメリカ南部の景色。ビリーは、その詩の中に父・クラレンスの最期を見ずにはいられなかった。そのことをビリーは自伝の中で"― It wasn't the pneumonia that killed him, it was Dallas Texas.-" (パパが死んだのは肺炎のせいなんかじゃない。テキサス州のダラスが殺したのよ)と綴っている。父クラレンスが亡くなったのは1937年3月1日のことだった。巡業中に風邪から肺炎を併発したのだが、治療を受けるために回った幾つもの病院はどこも診療を拒絶。黒人であるクラレンスを閉め出した。しかも其處は、南部で最も人種差別の激しい地域の一つ、テキサス州ダラスであった。

南風に揺れる『奇妙な果実』。黒人に対する差別、横行するリンチのメタファーは、以後、カフェ・ソサエティとビリーにとってのテーマソングになる。この歌は論争を巻き起こし、間もなく発売されたレコードは大変な成功を呼んだ。

1941年にビリーは"Gloomy Sunday"(『暗い日曜日』)を取り上げる。本作は1930年代にハンガリー語から英訳されたものであったが、政治色は薄れていたにも関らず『奇妙な果実』に続くヒットとなった。





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