深谷のもやし屋、私は深谷市の明戸地区の北よりである新井という場所に生まれてから47年間ずっと同じ地にいます。
すこし出歩けば近所は畑だらけ、さらに北へ向かえば利根川流域のネギ一大産地が広がる、そんな場所です。“本場深谷ネギ産地近く”ということもあり、ネギはとても好きな野菜です。父が健在の頃は工場敷地にある畑でネギを作ってましたし、さらに近所のネギ農家からのおすそ分けもあって、この時期はあたり前のように毎日ネギを食べています。味噌汁、煮ぼうとうに入れる、ネギぬた、油炒めにする、チャーシューと白髪ネギをごま油で和えてラーメンに載せる・・・・そんな感じです。
ネギが大好きなだけに夏にネギはほとんど食べません(笑)。自分の中のネギの地位を落としたくないからです。
ネギ好きな私ですが、ひとつ昔から気になっていることがありました。
『今のネギは本当の深谷ネギではない。昔の深谷ネギはもっと柔らかくて甘かった。ただ痛みやすいので輸送に向かずしっかりと硬い品種に取って代わられた』
という話。
かつては青果商であった父を含め、これまでどのくらいの農業関係者から聞いてきたことでしょうか。農家ではない私ですら聞いている話です。年配の生産者さんにとっては“口に出さないだけで”常識の話なのかもしれません。
昔の深谷ネギ=柔らかくて美味しい本来の深谷ネギ
私は機会があったらその深谷ネギを食べてみたい、と願っていました。
そして情報は意外なところから入ってきました。私に県産在来大豆を勧めた埼玉県農林総合研究センター(農総研)の増山さんが、私のそんな話を聞いて答えてくれたのです。今年の8月ごろでした。その昔のネギというのは
『農研2号』
という品種であり、深谷のどこかでまだその種があるらしい、ということでした。
以来、私の中では『農研2号』という品種名は
『失われた幻の深谷ネギ』
といった位置づけで強く心に焼き付けられたのです。そして・・・農研2号は
『野菜の品種』
というものを考えさせるきっかけもつくってくれました。自分たちは野菜を語るときに簡単に
『ネギ』だ
『キャベツ』だ
『にんじん』だ
・・・・と言ってしまいますが今までに品種の違いというものをほとんど意識していませんでした。
もやしにも主流である緑豆から作るものと、別品種の豆、ブラックマッペから作るもやしとでは味が大きくことなります。さらに現在は品種かけ合わせをしていない在来種(固定種)の大豆からもやしをつくっています。その在来種の大豆、すべてがそれぞれ違う味、食感をもっています。あたり前のことです。
『品種によって味も違ってくる』
のは当然のことなのです。
私はそんな仕事をしているくせに地元野菜の、とくに好物であるネギの品種による味の違いなどまったく考えていなかったとは恥ずかしい限りです。
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19日の午前のことです。深谷のとなり、熊谷市の郊外で開催された深谷の農家さんが軽トラで集まって市を開くいわゆる『軽トラ市』を訪れたとき、
偶然にも幻の農研2号のねぎ
を見つけました。深谷は岡部地区の若い生産者さんが栽培していたのです。
『農研ねぎ』、1束太さはまちまちで6~7本入って200円は決して高くはありません。いやむしろ安いくらい。私は興奮と共に3束購入しました。二つは自宅用、もう一つは『農研2号』に興味を抱いていた朝日新聞の記者に送りました。
そしてその日の昼食に農研2号で育てられた農研ねぎを食べる機会ができました。場所は地元のイタリア料理
店です。出てきた料理はネギと鶏肉のパスタ。白い部分は薄く輪切りにし水でさらし絞ったものをパスタに乗せて、青い部分は細切りにしてパスタと和えてあります。
まず生である白い部分をそのまま食べてみます。
「甘い」
・・・これが第一印象でした。単なる甘みではなく、深みのある花の蜜のような甘みが感じられました。逆に覚悟をしていた鼻に抜けるようなツンとした刺激はありません。歯ごたえもなにか普段のネギの半分ほどの抵抗。ややしっとりとしています。
パスタに絡んだ青ネギの部分も下仁田ネギのようなねっとりとした食感があります。隠し味に砂糖を加えたような甘みもあります。食べ終わり皿にたまったソースもとろみがかっていました。このとろみはおそらく青いところのなかにある粘液。そういえば昔のネギは青い部分を折るとどろっと粘液が出て手がネギ臭くなったものです。最近あまり感じられなかったネギが及ぼすものがここにあります。
続いてネギそのものを味わうに一番効果的な調理法で農研ネギを食べる機会を得ました。泥つきのまま切らずに焼いてしまう
『泥ネギ一本焼き』
です。焦げた外皮を剥くと中はふっくらと熱が通って、そのままかぶりつきます。
この料理で通常の深谷産ネギと比べるとその差は歴然。外側の柔らかさと全体の甘み、青い部分からはジェル状になった粘液が飛び出します。
ネギに限らず根菜類の野菜は土の違いが作物の味に大きく影響する、と私は思ってましたがそれだけではなさそうです。やはり『品種』というのも大きな要因になるはずです。というのはこのネギの産地は深谷市の岡部地区。利根川流域から離れた岡部はいわゆるネギの名産地ではありません。(逆にトウモロコシ、ブロッコリーは有名です)それでもこれだけ味のよいネギができるということは生産者さんの努力と品種が大きいのだと思うのです。
この農研2号から作られた農研ネギ、育成中はその柔らかさゆえに風のある日はすぐ倒れてしまうのだそうです。生産者さんはそのつど土寄せをしてネギをまっすぐ固定するのですが、そのときも一度手で根元を固めてから、という手間がひとつ増えるのだそうです。
なぜこの味のよい品種が“まぼろし”に為らざるを得なかったか。味は多少落ちても生産者さんが他の品種を選んだか、というその理由はこのあたりにもありそうです。
野菜の品種・・・野菜好きな方でしたら産地よりも品種による野菜の味の違いを意識してみる、その価値はありそうです。