私の若い頃と今と。
街も人も変わってしまったけど、絶対にあの頃が嫌だったなあと思うのが、街の店員さんの言葉遣いだ。

70年代の、たとえば原宿とか渋谷の店に入ると「それいいと思うよ、着てみて」といったような友達言葉、いわゆるタメ口で話しかける店員さんが多かった。
これがどうにも苦手で、若者的な店には入れなくなった。
今は、どんな店でも、若い店員さんでも、きちんとお客向きの言葉を使う。
自由奔放な70年代とは、だいぶ違う。

なんでそんなことを思い出したかと言うと。
母親の訪問看護をお願いすることになって、ケアマネさんやら、派遣されるクリニック看護師さんやらがやってくるのだが、人格的なことより、その言葉遣いに違和感を感じてしまう。

なんとかよねえ、なんとかかなあとか、やってみてとか、そういう言葉で母親に話しかける。
私は、なんとかです系で対応するので、こちらがクダけない限り向こうもそんな感じではあるが、この老人対応言葉にどうも馴染めない。

ちなみに、父親のホームではこういうことはない。
本人との関係では、親愛の情を持ってそれぞれの言葉があるだろうが、基本スタッフ全員丁寧語を使っている。
それが、入居者をお客さまととらえるほホーム、経営企業の基本姿勢なのだろう。
言葉一つのことでも、そこをないがしろにすると、この基本が崩れる。虐待や軽蔑が起きる。

老人対応言葉は、相手の警戒心を解く、経験上で得た手段だと思うが、老人が馬鹿にされているような不愉快さを持つ家族もいることを知ってほしいなあと思う。

タメ口は、相互の信頼の上にあるもので、初めから使うものではないと、私は思う。
こんな不愉快があって、昨日は、どうにも気持ちが収まらなかった。
いろいろあるなあ、どれもこれも社会勉強だなあ。とため息。
秋から冬へと、生姜を食べた。
漬物というかなんというか、ビニール袋に数個が入った生姜を、適当に切って毎朝食べる。
なるべ添加物の少ないものを選ぶ。

生姜ひとかけを、ガリガリと毎朝食べていたら、なんだかちょっと体温が上がった気がする。
風邪もひいていない。

でも不思議なもので、こんなに好きになった生姜なのに、春から夏への空気がやってきてから、急に魅力がなくなってきた。
あんなに好きだったのに。

昨日まであんなに好きだったのに、今日になったら顔も見たくないくらい好きじゃなくなった恋人のような理不尽。
こういうことが若い日にはよくあったが、まさか今頃生姜で思い出すとは。

これじゃああんまりツレナイだろ。
生姜が気の毒だろ。
と、残った生姜をまだ食べる。
あと半分。

全部食べ切って秋までさようなら。
恋も生姜も、さようなら。
もう二十年も前だろうか。
その頃、NHKにはテントのような特設建物がNHKホールの脇にあって、生放送などしていた。
実験的なこともしていて、その一つが私が司会をする歌番組、そこでゲストのお一人として出演されたのが若き日の井上芳雄さんだった。

その前から、私のオリジナル「わたしは青空」を歌ってくれていたことでお会いしてはいたが、番組での共演は初めて。
芳雄さんにとってもテレビはまだまだこれからという時期だったと思う。

後日、収録した番組をスタッフ全員で観ることになり、終わってからの芳雄さんの紅潮したような晴れやかな顔が忘れられない。
「ぼく、自分の歌うところって初めて見ました。思っていた以上に伝わるものなんだなあと思いました」
舞台で精魂込めて歌う魂が、ちゃんとお客さまに届くのだと芳雄さんはその時に確信したのだった。
まだ二十代の若者は、その時に自分の翼の大きさと強さを知ったのだろう。


昨日、有明ガーデンシアターというでっかいホールでの芳雄さんのコンサートにうかがった。
7000人を前に、芳雄さんはまるで自分の大切な部屋にお客さまを招いたかのような親近感と落ち着きと、そして磨きのかかった、軽妙洒脱なおしゃべりと、オリジナルとミュージカルの双方を歌う。

誰も傷つけない、でも、その場での自分の見つけた言葉で紡ぐおしゃべりは(歌はもちろんだけど)芳雄さんがこんなに立派な大人のエンターテナーになったことの証明でもあった。
知的で愉快で誰一人不愉快にさせない、取り残さない、こういうおしゃべりができる人はそういない。

立派になって、こんなに立派になって。
親にでもなったような気持ちで胸は熱くなる。

歌はもちろん進化を続けている。
どこか甘い、でも空気を抱き込みながら突き抜ける声の響きに、また二十年前のことを思い出した。

前述のテレビ番組リハーサル中のこと。
芳雄さんの歌声を客席で聴いていた女性ディレクターが感に耐えたかのように、ため息のように、独り言のように発した言葉。
「なんてゴージャスな声」

昨日、何度もその言葉を思い出しながら聴いた。
なんてゴージャスな声。
なんて気持ちの良い声。

もっともっと歳を重ねて、もっともっとゴージャスは色を深めるだろう。
それを聴くために、長生きしなきゃ。な。