私の若い頃と今と。
街も人も変わってしまったけど、絶対にあの頃が嫌だったなあと思うのが、街の店員さんの言葉遣いだ。
70年代の、たとえば原宿とか渋谷の店に入ると「それいいと思うよ、着てみて」といったような友達言葉、いわゆるタメ口で話しかける店員さんが多かった。
これがどうにも苦手で、若者的な店には入れなくなった。
今は、どんな店でも、若い店員さんでも、きちんとお客向きの言葉を使う。
自由奔放な70年代とは、だいぶ違う。
なんでそんなことを思い出したかと言うと。
母親の訪問看護をお願いすることになって、ケアマネさんやら、派遣されるクリニック看護師さんやらがやってくるのだが、人格的なことより、その言葉遣いに違和感を感じてしまう。
なんとかよねえ、なんとかかなあとか、やってみてとか、そういう言葉で母親に話しかける。
私は、なんとかです系で対応するので、こちらがクダけない限り向こうもそんな感じではあるが、この老人対応言葉にどうも馴染めない。
ちなみに、父親のホームではこういうことはない。
本人との関係では、親愛の情を持ってそれぞれの言葉があるだろうが、基本スタッフ全員丁寧語を使っている。
それが、入居者をお客さまととらえるほホーム、経営企業の基本姿勢なのだろう。
言葉一つのことでも、そこをないがしろにすると、この基本が崩れる。虐待や軽蔑が起きる。
老人対応言葉は、相手の警戒心を解く、経験上で得た手段だと思うが、老人が馬鹿にされているような不愉快さを持つ家族もいることを知ってほしいなあと思う。
タメ口は、相互の信頼の上にあるもので、初めから使うものではないと、私は思う。
こんな不愉快があって、昨日は、どうにも気持ちが収まらなかった。
いろいろあるなあ、どれもこれも社会勉強だなあ。とため息。
街も人も変わってしまったけど、絶対にあの頃が嫌だったなあと思うのが、街の店員さんの言葉遣いだ。
70年代の、たとえば原宿とか渋谷の店に入ると「それいいと思うよ、着てみて」といったような友達言葉、いわゆるタメ口で話しかける店員さんが多かった。
これがどうにも苦手で、若者的な店には入れなくなった。
今は、どんな店でも、若い店員さんでも、きちんとお客向きの言葉を使う。
自由奔放な70年代とは、だいぶ違う。
なんでそんなことを思い出したかと言うと。
母親の訪問看護をお願いすることになって、ケアマネさんやら、派遣されるクリニック看護師さんやらがやってくるのだが、人格的なことより、その言葉遣いに違和感を感じてしまう。
なんとかよねえ、なんとかかなあとか、やってみてとか、そういう言葉で母親に話しかける。
私は、なんとかです系で対応するので、こちらがクダけない限り向こうもそんな感じではあるが、この老人対応言葉にどうも馴染めない。
ちなみに、父親のホームではこういうことはない。
本人との関係では、親愛の情を持ってそれぞれの言葉があるだろうが、基本スタッフ全員丁寧語を使っている。
それが、入居者をお客さまととらえるほホーム、経営企業の基本姿勢なのだろう。
言葉一つのことでも、そこをないがしろにすると、この基本が崩れる。虐待や軽蔑が起きる。
老人対応言葉は、相手の警戒心を解く、経験上で得た手段だと思うが、老人が馬鹿にされているような不愉快さを持つ家族もいることを知ってほしいなあと思う。
タメ口は、相互の信頼の上にあるもので、初めから使うものではないと、私は思う。
こんな不愉快があって、昨日は、どうにも気持ちが収まらなかった。
いろいろあるなあ、どれもこれも社会勉強だなあ。とため息。