宗教は対立するためのものじゃないでしょう!! | Petit Petit Happy Search(ぷちプチしあわせさがし)

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パキスタン少数民族相が射殺される、タリバン系組織が犯行声明
ロイター 3月3日(木)9時38分配信

[イスラマバード 2日 ロイター]パキスタンの首都イスラマバードで2日、キリスト教徒のシャバズ・バッティ少数民族相が射殺された。過激派組織「パキスタンのタリバン運動(TTP)」が犯行声明を発表し、イスラム教に対する冒涜(ぼうとく)罪の見直しを呼び掛けていた同相への「処罰」だとしている。

バッティ氏は車で移動中に銃撃を受け、運転手によると、男ら4人を乗せた白い車が近づき、少なくとも1人が車外に出て発砲した。目撃者の情報では、今回の犯行は同氏に対する「処罰」だとしたビラが現場に散乱していたという。

パキスタンでは2010年11月、キリスト教徒の女性がイスラム教の預言者ムハンマドを冒涜したとして死刑判決を受けたことから、イスラム教に対する冒涜罪をめぐる議論が活発化。しかし、2011年1月4日に同罪への反対を表明したパンジャブ州の知事が護衛に射殺される事件が発生。パキスタン国内では犯人の護衛を称える声も少なくないという。パキスタン政府は同罪の見直しは行わないと繰り返し表明している。

バッティ氏は同国で唯一のキリスト教徒の閣僚。米クリスチャン・ポスト紙と1月に行ったインタビューでは殺害の脅迫を受けていたことを認める一方で、パンジャブ州知事の殺害事件を引き合いに、護衛を付けない意思を明らかにしていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110303-00000971-reu-int


上記のニュースを読んで、みなさんはどのように思われたでしょうか?
それぞれの宗教を否定する人を傷つけたり、殺したりするのは“教え”に反することではないでしょうか?
だって、宗教は人を生かすためのものでしょう?

さて、宗教の目的とは何か?改めて確認しておく必要がありますね。
文鮮明先生は、自叙伝の中で下記のように語られています。

宗教の目的とは何でしょうか。それは神様の理想世界を成し遂げることです。より多くの人を宗教の世界に伝道しようと努力する理由は、より多くの人を神様の民にするためです。すべての人が神様の民になれば、世の中はもはや戦争と混乱のない平和世界になります。究極的に宗教が行く道は平和です。

神様は愛と平和の世界を願ってこの世をつくられました。自分の宗教だけが唯一の救いであると言い張って混乱を引き起こすのは、神様が願われることではありません。神様は、この世界のすべての人が平和と和解、共生のために一生懸命に働くことを願われます。教会に行くがゆえに家の中に混乱が起きるとすれば、私は躊躇なく「家庭を先に守りなさい」と言います。なぜかというと、宗教は神様の完全な世界に入っていくための手段であって、それ自体が目標ではないからです。
(文鮮明師自叙伝「平和を愛する世界人として」291~292ページ
第七章 韓国の未来、世界の未来-理想郷に向かって「二十一世紀の宗教が最終的に目指すもの」より)

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