自分がこの世界から得られる恩恵は、自分が世界に与えた恩恵にほぼ等しいのです。
だから、もし自分は見返りとして、充分な恩恵を与えられていないと感じるなら、もっと人々を幸福にすることを実行したほうがいいのです。
あるいは、すでに自分に与えられている幸福をありったけの知性を使ってしっかりと噛みしめてみるべきかも知れません。
そのときに、併せて考えることは、自分の目的です。
目的のない「つきあい」からはなにも生まれないからです。目的のない生き方はダラダラと繁華街を歩くことと変わらないからです。こいう場所で恩恵を得られることはありません。
震災に命懸けで取り組む人たちは、日頃から訓練しています。訓練に耐えられるのは目的があるからです。
訓練中に賛辞が贈られることはほとんどありません。その孤独に向かい合えるのも目的があるからではないでしょうか?誇りとは、誰も見ていないときに培われているのです。そして恩恵とは自分が気付かないときに与えられているのです。
誰にも気づかれない間に散っていく花もあります。桜は咲いたときだけがきれいなわけじゃない。この世界には足し算と引き算では見えないものがあるのです。
たとえ、唇かみしめた努力が無になっても、その努力を心から率直に受け入れることが出来る勇気が誇りであって、恩恵なのです。