色々と自分のゆくべき道を思い描いてみる時、



「今回は導かれなかったらどうしよう・・・・。それでも、そこで終わったわけじゃない!次がある!」


そう思っても、漠然と不安感があります。





そんな中で、この前班長と授受作用していき、

「私たちの考える以上に!

もっと!!!救いたい!愛したい!喜ばしたい!親なる神様なんだよ!


その神様が、な~んの計画も立てずに、時も決めずにおられますか!って話ですよ。」



という、


班長のこの一言を聞いた時、


私の中にあった迷いや不安を全部なくしてくれました!





6000年間も!たったお一人で!諦めずに計画を練って練って・・・・


私たちを導いて来られた神様ですよ!


そうですよ!



堕落人間の私たちには、考えもつかないくらいに、

時と場所と人とが本当に一番ふさわしい内容で導いて下さる神様なんだということ、


例えそれが自分にとっては意味がわからなくても・・・



私が一つ二つ計画を練っているうちに、

その、何十何百何千万倍もの緻密さで・・・



たとえば、


食事をするなら、この店この日この時間、この店員がいる時、この席で、

料理はこの人でこの料理にはこれを追加して、隣の席にはこの客で、こんな会話、

天気は、気温は、この電車はちょっと遅延させよう・・・・etc


きっと、もっともっと神様ならそんなとこまで!!?と思うようなことを計画なさるに違いない!




だから、私たちが心配する必要なんてないということ!




私たちは、自分の責任5%を果たして行けば、後は神様が導いて下さるんだ。



委ねていくことも、信仰ですね。





いかに、それを”よし”とできるか。






けれど、その責任分担5%が重要。





私たちはいずれ祝福を受ける身。

祝福後は、班長などというアベルはおらず、自分が子供を教育し、

善悪を判断していかないといけない立場になる。



そうなると、ただ、神様が導いて下さるかどうか・・・・と、

ヤキモキしたり、待っていたら・・・・



受け身になるのではなく、


私たちは、自分が決意した内容があるなら、自分の良心に引っかからなければ、


「神様、私はこういう計画を持っています」

「こういう風にしていきたいと思っていますが、間違っていますか?」


と問いかけながら、


自分自身が主体性を持っていけば、

具体的に向かっていこうとする所に神様も働いてくださる。







そうやって、班長を通して、沢山の内容を与えられたので、



私は自分が「これだ!」と思った内容に対して、自信を持って歩んで良いと言われたことに、

信仰を持って、

自己中心にならないように、

動機を正しながら、

向かっていけたら良いんだと思います。