2005.4.25 尼崎脱線事故から6年
事故が発生した午前9時18分の3分前、福知山線の宝塚発同志社前行きの快速電車が追悼の警笛を鳴らしながら現場のカーブをゆっくり通過。乗客は現場に手を合わせ、涙を流した。
「事故を忘れることなく、安心と信頼をいただけるよう全力を挙げて取り組んで参ります。」カーブの直前にはJR西の決意の言葉が社内でアナウンスされた。
(4月25日付け日本経済新聞夕刊15面より一部抜粋)
1月16日ブログ「災害に強い大阪(減災社会)を目指して 」に続き。
関西で起きた、あの大事故についても、自分の記憶が風化しないよう、ブログに綴っておきます。
兵庫県尼崎市で2005年(平成17年)4月25日午前9時18分
乗客ら107人死亡、562人が重軽傷を負った
JR福知山線事故
事故発生から6年を迎えました。
「七回忌」の命日にあたるこの日、JR西日本が尼崎市内で開いた「福知山線列車事故 追悼慰霊式」
には、遺族や負傷者ら約1200人が参加したとのこと。
業務上過失致死罪に問われたJR西日本前社長の後半は17回を重ね、判決は早ければ年内に言い渡される一方。
昨年4月、改正検察審査会法に基づき、業務上過失致死傷罪で強制起訴された、歴代3社長の公判については、6月に公判前整理手続が始まる状況からみて長期化が予想される。
まだ事件の解決に至っていませんが。
遺族とJR西日本などは、2009年12月に「課題検討会」を設置し、1年4か月かけて事故原因などを共同検証し、25日、シンポジウムを開催して、その検証結果を報告したとのこと。
被害者と加害企業が共同検証することは、あまり前例がなく画期的なことかと思います。
今後の事件や事故が発生した場合における、被害者対話、原因究明の1つのあり方、モデルとして評価されるべきではないでしょうか。
記憶が風化したとき、必ず同じような事件や事故が起きる。
JR西日本を始めとする鉄道各社は、この事故を教訓として、
乗客が安心できる、安全な鉄道を目指してほしいものです。
また、市民の信頼を得るため、無事故防止に止まらず、災害に強い鉄道を目指してほしいものです。