説教題 「良心は真の父母、真の師、真の主人」


※聖句は文鮮明先生の語られた平和メッセージ15の説教題にあるタイトルのみ言葉でした。
下のほうに水色で部分的に記載します。かお


今回の礼拝、代表祈祷をさせていただきました。
朝、教会に着いた時点から、H牧師よりご指名を受けるような予感がしていました。

代表祈祷は緊張します。
歌の賛美が行われている時から代表祈祷までの時間もドキドキしていましたが、
これからみ言葉を受けるにあたって、そこにいる兄弟姉妹たちが心を整えて神様を迎え入れるために相応しい言葉をどうか神様与えてください。と祈りながら備えました。

今回の礼拝は、歌の賛美が聖歌隊の他にも二組ありましたが、最初から最後まで心打たれる賛美、そして礼拝でした。

水色部分 今回の聖句の一部です。

人間が、地上界で一生を航海するのに必要な羅針盤として下賜されたものが、良心という特別な贈り物です。よく人生百年といいますが、人間は誰彼を問わず、生まれて死ぬ瞬間まで、良心の作用圏を脱け出すことはできません。
そして、良心の作用の中で、最高、最上の機能が正に、真の父母、真の師、真の主人の役割の機能です。言い換えれば、良心は、私たちが生まれたときから真の父母、真の師、真の主人の位置で私たちの生を指導し、教育する、神様の代身者であるということです。私たちの一挙手一投足を、一時も逃すことなく導き、監視する責任が良心の機能だということです。



H牧師は説教の最初に仰っていました。
他のキリスト教会の方の前で統一教会式の祈りを結ぶと、不思議に思われる箇所があると。
それは、「真の父母」という箇所だそうです。

なぜ、文先生ご夫妻は「真の父母」と呼ばれるのか。

人間誰もが父母なしにこの世に存在し得ないように、誰もが良心を備え、良心の作用の中に生きています。


ところで、水晶のように清く透明でなければならない人間の良心に、堕落性の垢がつき、今まで様々な罪悪と疾病の中で本来の機能を全て発揮できずにいるのです。したがって、サタン主管圏のこの邪悪な世界から一日でも早く解放・釈放を受けたいと、泣き叫んでいる良心の声を聞ける皆様にならなければなりません。
しかし、堕落した人類は本来の良心の作用を発揮出来ずに生きています。


文先生は、天の父母=神様の堕落した人類に対する悲しみの心情を解き明かし、地上に生きる私たちがどういう方向にこの良心を向かわせるべきかを教えてくださいました。

世界の中、宗教間、思想間の戦いは絶えることを知りません。
そのような兄弟げんかは、父母でしか終わらせることができません。


混迷なる世界、とりわけ混迷極まりない日本は、自分の私利私欲を越えて人間の良心が強くならなければ解決することが出来ない問題がたくさんあります。

果たして、良心はどのような方向にむかっていけば良いのか。

私は、真の父母たる文先生の生き方にその方向性を見出して生きたいと、生活する者です。


H牧師は人の欲望がそのまま為されていくならば、どういう世界になるのか、良心とは何か。ということに対しての例を不朽の名作ドストエフスキーの『罪と罰』を通して示してくださいました。


まだ読んだ事がないので、読んでみたいと思いますニコニコ


今回の礼拝、心に響く、すすり泣く音の耐えない礼拝でした。
それぞれ響く言葉も違ったと思います。


再び、平和メッセージ15のみ言葉を読み、神様からのメッセージを心に刻みたいものです。


最後まで読んでくださって、ありがとうございます!

よろしければ、クリックをお願いいたします!


にほんブログ村 聖書・聖句