※この記事は「さかなくんの談話室」「さかなくんのパカパカ日記」同時掲載です。
去る、3/11に発生した『東日本大震災』に関して、今盛んに流れているテレビCMやテレビのキャンペーンに関して、なにかきな臭い感じがするのです。
それは、どうも、ながれているCMで伝えられる言葉の一つ一つに、
「ひとつになろう」
といった見えない言葉の『脅し』があることにあまり気が付いていないのです。実際、某テレビ局が「ひとつになろう日本」と銘打った『震災被災者応援キャンペーン』なるものを展開しています。
これのような風潮に関して、コラムニストの小田嶋隆さんが、こう警鐘を鳴らしています。
小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句より、『「ひとつになろう」より「てんでんこ」がいい(日経ビジネスオンライン)』(全文はhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110331/219253/ で)
この中で小田嶋さんは、こう述べています。
「(前略)ただ、一連の震災関連のメッセージが、国民の「団結」と「連帯」を無条件の前提としているように見える点については、一言疑義を呈しておきたい。 たとえば先週から、フジテレビが「ひとつになろう日本」というキャンペーンを開始している。 私は、このシンプルな告知CMを見る度に、軽い違和感を感じる。 ひとつになることが悪いことだと思っているからではない。ただ、「非常時」にあって、反射的に「団結」「連帯」「ひとつに」という言葉が出てくることに、薄気味の悪さに似た気持を抱くのだ。(後略)」
これに対して、小田嶋さんは東北地方沿岸部に言い伝えられる言葉の「津軽てんでんこ」を取り上げており、こう解説しています。
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「『――前略――死者・行方不明者が1200人以上に上った釜石市では、全小中学生約2900人のうち、地震があった3月11日に早退や病欠をした5人の死亡が確認された。しかし、それ以外の児童・生徒については、ほぼ全員の無事が確認された。市は2005年から専門家を招いて子供たちへの防災教育に力を入れており、その一つが「てんでんこ」だった。度々津波に襲われた苦い歴史から生まれた言葉で、「津波の時は親子であっても構うな。一人ひとりがてんでばらばらになっても早く高台へ行け」という意味を持つ。――後略――』(3月28日読売新聞)
三陸の人びとは、「老幼の者を助けようとして一家共倒れに」なったり「家族をさがしているうちに逃げ遅れ」たり、「点呼を取っている間に津波に呑まれ」たりしてきた苦い経験から、緊急時にあっては、とにかく「個人の判断と責任において、一刻も早く逃げる」という方針を徹底してきたというのだ。」
そして、今回の震災を教訓に、日本全国に
『てんでんこ』
という考えをもっと日本でも普及するべきだと考えています。
※「津軽てんでんこ」・・・・この意味はもし、大地震が起きたときは津波がくる可能性があるから親子であっても命を大切にするためにてんでんばらばらになってでも(てんでんこ)すばやく高い丘に逃げなさいという教訓から
来た言葉のようです。なんとなく意味わかりますね。
出典はココからです。http://r10.to/hB2rlF
最後に小田嶋さんは先日行われた日本代表とVSJリーグ選抜のチャリティーマッチでゴールを決めた三浦和良選手の「天に突き立てた1本の指」について、こう述べています。
「カズダンスの最後の決めポーズは、「天上を指差す一本の指」に決まっている。
その意味するところを問えば、たぶんカズはこう答える。
「ひとつになんかなるな。一人であれ」
うん。違ってたらごめん。」
今の時代、とかく他人に流されがちな人間。私たちも、この日の三浦選手のメッセージをしっかり受け止めて行動したいものです。
特に今日から新しい生活を始めた皆さん。世の中「てんでんこ」で生きましょうよ!