召命観 | 信仰生活は感謝と喜び!

信仰生活は感謝と喜び!

訪問ありがとうございます。統一教の信仰を持っている青年です。感謝と喜びの生活をしながら感じる内容を記した日記です。
感謝、信仰、書籍の紹介、統一教会員の拉致監禁問題、自身の祝福結婚の証し、統一原理、文鮮明師自叙伝、など幅広く取り上げています。

召命。それは、神様が私たちを召して下さったということ。信仰においては、度々耳にする言葉ですが、今日は召命ということについて学び、考える時間を持ちました。


私たちは気づいたらこの世に生を受け、時がきたら結婚して家庭を持ち子女を設ける、そしてどんな人も必ず老いて死ぬ。その一つ一つが私たちの動機のように思えますが、自分の意志で生まれてきた人はいませんし、どんな人も死を免れ得ない。


それは、私たちを創造した神様の設計図の中に、一つ一つが組み込まれていたということですね。ですから、私たちが生まれたのも、そして結婚するのも、子女が誕生することも、そして、肉身の寿命を終えて霊界に旅立つのも、全てが神様の理想の中にあったこと。アダムとエバを通してなそうとした神様の理想があったのだと分かりました。


旧約聖書のエレミヤ書の中の言葉です。主の言葉がわたしに臨んで言う、「私はあなたをまだ母の胎につくらない先に、あなたを知り、あなたがまだ生まれない先にあなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」(エレミヤ書1/4~5)


文鮮明先生の言葉にも次のようなものがあります。「神様は御自分の時刻表に従って私を選択し、任命されたのです。」


ですから、私たち全てが同じように、神様のタイムスケジュールの中で、知らないうちに相応しい時、相応しい場所で、相応しい人を通して神様から選ばれた存在だということですね。


ただ偶然にではなくて、全てが天の計らいの中でなされ、今ある環境は、自分が選んだようですが、実は神様から与えられた責任、環境だということですね。


ですから、今の自分今の環境、試練さえも神様が私に与えて下さったものとして肯定し、分からないことは神様に一つ一つ天のお父様と呼びかけて確認していきたいと思いました。


20代最後の一日、神様の声に耳を傾け、その呼びかけに答えられる自分になりたいと決意を新たにしました。


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