原子力を弄ぶ罪深きジャーナリストたち | 永田町異聞

原子力を弄ぶ罪深きジャーナリストたち

この国の原子力行政は、地震国であるという厳然たる事実に、真摯な姿勢で向き合ってきたのだろうか。


平成17年に内閣府の原子力委員会が策定した「原子力政策大綱」を見てみよう。


今年から新大綱の策定作業がはじまっているが、いまのところ17年の大綱が生きており、すくなくともこれが現下における日本の原子力行政の基本的な考え方といえる。


驚かされるのは、219ページにおよぶ文書のなかで、「地震」という言葉が出てきた箇所を調べてみると、わずか2か所に過ぎないことだ。


最初に登場するのは9ページで、こういうところに使われている。


「原子力施設の設計・建設・運転に当たっては、地震等の自然現象に対する対策はもとより、設備の故障や誤操作に起因して、内在する放射性物質が国民の健康に悪影響を及ぼす潜在的危険性(リスク)を抑制する安全対策と、妨害破壊行為のリスクを抑制する防護対策を確実に整備・維持する必要がある」


「地震など自然現象に対する対策」と、通りいっぺんの記述があるだけで、具体的な対策の中身は示されていない。


次に25ページのこの部分。「なお、国は、国内外において大きな地震が相次いだこと等から、原子力施設の地震リスクについて国民の関心が高まっていることに留意するべきである」


国は留意すべきである、というだけだ。大きな地震が相次いでいると言いながら、それを、たとえば地球規模で何らかの変動が起きているのではないか、などと敷衍して考察することもなく、あくまで鈍感に「地震と原発」という重大な課題を通り過ぎる。


原子力委は初めに原発推進ありきの議論でOK、地震対策はその分野の専門家が取り組めばいいという、霞が関的なタテ割り発想が、26名の有識者をそろえたはずの会議に見てとれる。


国の原子力行政の基本において、地震への万全の備えという、国民の命を守る姿勢そのものが抜け落ちているのである。


では、昨年6月にまとめられた資源エネルギー庁の「エネルギー基本計画」では「地震」という言葉が何回出てくるだろうか。これも「総合資源エネルギー調査会」なる有識者の審議を経ている。


まず3ページ。「テロや地震などのリスクは減じておらず、エネルギーの輸送・供給や原子力などについては一層の安全確保が求められていく」


次に31ページ。

「安全規制を取り巻く近年の大きな環境変化を踏まえた上で、必要な取組を実施してくことが重要である。具体的には、安全審査制度における品質保証の考え方の取り入れや検査制度における品質保証の取り入れの拡充、大きな地震動を受けたプラントの点検方法の標準化・マニュアル化、トピカルレポート制度28の対象分野の拡充、リスク情報の活用方策等について検討する」


原子力政策大綱と同様、「地震」という言葉が出てくるのはこの2か所だけである。どんなにコストがかかっても地震への備えを万全にしておくのだという姿勢は微塵もうかがえない。


原子力の平和利用を唱える以上、なによりも「地震対策」という項目を掲げ、原発の是非論も含め、議論するべきではなかったか。


大地震を想定しておかねばならないはずのこの国で、原子力行政に携わる官僚や民間の有識者が、ほとんど本気でその重要な問題に立ち向かおうとしていないことは、驚愕すべきである。


もとより下記のような霞ヶ関作成の原発増設プランを前提にし、アリバイ的に御用学者や評論家、ジャーナリスト、財界人を集めて審議しているのだから、いまさら嘆いても仕方がないことかもしれない。


「2020 年までに、9基の原子力発電所の新増設を行うとともに、設備利用率約85%を目指す。さらに、2030 年までに、少なくとも14 基以上の原子力発電所の新増設を行うとともに、設備利用率約90%を目指していく」(エネルギー基本計画)


原子力委にしても、総合資源エネルギー調査会にしても、議事録を読んでみると、いつも威勢よくメディアで発言している評論家やジャーナリストが、委員として惨めなほどにズレた議論をしていることに気づくことがしばしばある。


例に出して恐縮だが、ことし1月31日に開かれた原子力委員会・新大綱策定会議における青山繁晴氏の発言は次のようなものだった。


「原子力発電が集中立地している若狭湾では、雨が降ったとき、自然界の放射線量がどれぐらい増えるかというと、大体170nGy/h(ナノグレイ・パーアワー)までいくんです。ところが、原発が地震で揺らされたとして、使用済み核燃料棒のプールの水とかが仮に漏れたという被害であれば、170nGy/hまではとてもいかない。すなわち自然界の放射線量を超えることがない。環境への影響はない。中越沖地震で柏崎刈羽原発の使用済み核燃料棒のプールから水が漏れましたが、IAEAの調べでも環境への影響はなかったことが確認されている。しかし社会的には、こうした事実がまったく知られていなくて、環境が汚染されたかのような事実誤認がある。(中略)必ず巨大地震というのはやがて来るわけですから、そのときに何が起きているかということを地元の方あるいは国民全体がフェアに、客観的に判断できるような教育を今から積み上げることが大事ではないかと思っています」


この青山氏の発想からは、日本の原発がどうやって地震に備え、安全を確保すべきかという視点は完全に欠落している。


そればかりか、原発が巨大地震に見舞われたときに国民全体が「フェアに客観的に」判断できるよう教育すべきであるという趣旨の発言は、つまるところ「地震国の国民として少々の放射能で騒がない教育が必要」とも受け取ることができる。自然と人間に対する恐るべき傲慢さといえないだろうか。


ちなみに170nGy/時は、0.136マイクロシーベルト/時である。福島第一原発3号機北西0.5キロにおける放射線量が一時、5000マイクロシーベルト/時を超えたのは周知のとおりだ。


福島市の県北保健福祉事務所で3月22日11時に観測した数字が6.53マイクロシーベルトで、青山氏が持ち出した170nGyすなわち、0.136マイクロシーベルトの48倍という計算になることを考えると、いかに原子力委でいい加減な議論が行われていたかがわかる。


3月25日に開催される予定だった原子力委の会議は延期されたが、次回会合でも青山氏は同じ考えを貫けるだろうか。


かつて内橋克人氏は、行政や電力会社に支給されるデータ、紙に書かれた情報をマル呑み込みする知識人たちの説く「原発推進論の無知蒙昧ぶり」(内橋克人「原発への警鐘」)を嘆いた。


財団法人「日本原子力文化振興財団」が1000人のジャーナリストを選び「PA(パブリック・アクセプタンス)戦略」と呼ばれる原発推進洗脳作戦を繰り広げたことも、内橋氏は厳しい視線で書いている。


また、鎌田慧氏はその著書「原発列島を行く」(2001年)において、「言論買収」という激しい言葉で、マスコミにはびこる原発信奉者を糾弾している。


「政府資金は、膨大な広告費として、新聞、雑誌、テレビなどのマスコミを汚染した。言論買収といってもまちがいない。また、原発の信奉者は、これまで数多く輩出した。かつては大熊由紀子(朝日新聞)、最近は上坂冬子(作家)などが、宣伝に貢献している。上坂は電力会社の『助さん格さん』にともなわれてアジア各地の原発事情をみてまわり、原発賛美の記事を書いている」


いまこそ、ジャーナリストや識者といわれる人々が目を覚ますべき時だ。経産省の幹部が原発関連企業に天下りし、電力会社が地元にカネをばらまき、原発を「クリーンエネルギー」だとうそぶいて推進してきた結果が、この惨状だ。


国が一刻も早く脱原発にエネルギー政策を転換し、代替エネルギーの開発を強力に進めるため、識者、ジャーナリストは霞ヶ関におもねる姿勢を改めねばならない。もはや世論をミスリードすることは許されない。


  新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)