The Allman Brothers Band
Stormy Monday
デュアンの演奏は、アワーグラスの2枚のアルバムとアラバマ州マッスルショールズ(muscle shoals)のフェイム・スタジオ(FAME Stadios)で1968年初めに録られたアワーグラス・セッションに収められ、フェイムのオーナーであるリック・ホールの耳に入った。
1968年11 月、ホールはウィルソン・ピケットのアルバムのために彼を雇った。このアルバム「Hey Jude」の中のデュアンの演奏が、マッスル・ショールズのフルタイム・スタジオミュージシャンとして雇われるきっかけとなり、エリック・クラプトンのような幾人かのミュージシャンの注意を引いた。クラプトンは、後にこう述べている。"i remember hearing Wilson Pickett's "Hey Jude" and just being astounded by the lead break at the end. .... i had to know who that was immediately ---right now."
「Hey Jude」の彼の演奏は、アトランティック・レコードのプロデューサーで経営者、ジェリー・ウェクスラー(Jerry Wexler)を驚愕させた。ホールは、演奏を電話越しにジェリーに聴かせていたのだ。ウェクスラーは、すぐにデュアンのレコーディングについてホールに連絡し、アトランティックのR&Bアーティスト達とのセッションに彼を使いたがった。一方、マッスル・ショールズで、デュアンは数多くのアーティストの作品で注目を集めた。例えば、クラレンス・カーター(Clarence Carter)、キング・カーティス、アレサ・フランクリン、オーティス・ラッシュ、パーシー・スレッジ、ジョニー・ジェンキンス、ボズ・スキャッグス、デラニー&ボニー、ジャズフルート奏者のハービー・マンなどである。
「Hey Jude」を録音した後すぐに、ボズ・スキャッグスの「Loan Me A Dime」では、デュアンはリードギターとして参加した。この曲中の彼のソロは、これまでの演奏の中のベストの1つであると記された。初めてのアレサ・フランクリンとのセッションのために、彼はニューヨークへ旅立った。1969年2月、ジョニー・ウィンターを観にフィルモア・イーストへ行った。その時、デュアンはマッスル・ショールズの同僚でギタリストのジミー・ジョンソンに対して予言的に、この1年間に自分はあのステージに立つだろう、と語った。オールマン・ブラザーズ・バンドは、実際この年の12月にフィルモアで演奏した。