日本のジャスミン革命2─ガイア・イメージ論 | イージー・ゴーイング 山川健一

日本のジャスミン革命2─ガイア・イメージ論

 TwitterでこんなRTを入れて下さった方がいる。

 一体どこにどう働きかけたら原発を止められるのか。ヒステリックにならずに冷静にロジカルに当たり前の結論として脱原発に向かうためには何をしたらいいんだろう?と立ちすくんでいます。(@staban3)

 確かにぼくら1人ひとりは無力だ。しかし、ぼくら個人の魂が時代の空気というものを形成しているのも事実だ。そして、前回書いた「日本のジャスミン革命──原発からの脱却」を実現するために、インターネットほど有効なツールは他にないのではないかとぼくは思うのだ。

 かつて、吉本隆明が『マス・イメージ論』というのを書いたことがある。
 共同幻想、つまり制度や国家以外に、マス・イメージというものが存在するという論だった。漫画、アニメ、CM、歌謡曲といったサブカルチャーがマス・イメージを形成している、というわけだ。
 ロックの子供であるぼくには、そんなのは当たり前すぎて新鮮みはなかった。ぼくは詩人であり思想家の吉本隆明の『共同幻想論』に強烈なインパクトを受けて育った者の一人だが、「吉本も老いたなぁ。10年前のラヴ&ピースのほうがずっと新しいぞ」というのが率直な感想だった。
 だが『マス・イメージ論』をふくらませて、たとえばブランドというものについて考えてみた。
 機能やコストが同じなのに、なぜシャネルのバッグが普通のバッグより高いのか? それはマス・イメージの存在がブランドを支えているからだ。
 ブランドの存在は、実は資本主義経済の否定なのだ。革命を起こすのに、武装蜂起する必要なんてない。シャネルのバッグを1つ買えばいいのだ──。
 吉本隆明はその後『ハイ・イメージ論』を書き、これはランドサットからの視線、つまり臨死体験からの視線である「世界視線」、あるいは「向こうからの視線」によって現在を逆照射しようとして──これはさっぱり意味がわからず、ぼくはそれから吉本隆明の本を読むのをやめて、自分で考えることにしたのだった。
 父親からの自立、みたいな話である。
 というわけで、ぼくがインターネットに出会ってから自分で考えたことを以下になるべく簡潔に書く。

 インターネットとは、今やガイア(地球)にとって外付けのハードディスクみたいなものだ。あるいはそいつは、ガイアの脳細胞そのものなのかもしれない。刻一刻とシナプスが繋がり貴重な情報が伝達されていくのだ。
 多くの人間が日々の感想を書き記し、それが読まれていく。こうした連続は、やがてガイアの呼吸を形成していくのではないだろうか。マス・イメージを超えたガイア・イメージというものが確かに出来上がっていき、こいつは、ガイアの行く末を決定することになるかもしれない。


イージー・ゴーイング 山川健一-earth


<あまりにも危険な原子力発電所にこれ以上頼るのは嫌だ。
 子供達を守らなければならない。>

 そんなポジティヴで温かな気持ちがブログやTwitterやFacebookに満ちていくこと。それが大事なのだと思う。
「一体どこにどう働きかけたら原発を止められるのか」
 ブログやTwitterに感想を書き記すことが、もっとも有効な方法なのではないだろうか。ギターの弦の小さな震えがアンプリファイアによって拡大されていくように、チュニジアの一人の青年の焼身自殺が、Twitterによってジャスミン革命に結びついたように、ぼくらの声は遠くまで伝わっていくはずだ。

 原発賛成 世界調査で半数切る(NHKニュース)
 福島の事故を受けて、原発に賛成する人の割合が49%と全体の半数を下回ったことが明らかになったのだ。

 マス・イメージ論によらずとも、日本が資本主義経済の国だというのは嘘である。社会主義国家以上に巧妙に統制され、管理されてきたのが、この国の戦後経済の歴史だった。原発も電力会社もそういう仕組みの中に配置されてきた。
 ロシアや中国の共産党の幹部とその縁戚者が優遇され、いい思いをしているのと同じように、日本でも長らく甘い汁を吸ってきた人達がいるということだ。
 社会主義国家であったソ連の、チェルノブイリ事故時の避難基準によれば、被曝が1mSv/年を超えると「移住権利」が発生した。住民は移住するかどうかを自分で選択することができたわけだ。5mSv/年を超えると「移住義務」になった。
 この基準を日本に当てはめると、福島市や郡山市も避難の対象となる。
 今の民主党政権の避難基準は20mSv/年だ。1986年当時のソ連政府よりも4倍も甘い基準なのである。外国のメディアはこういうことを逐一報道しているのに、日本ではスルーされている。
 インターネットには、「日本の政府は80年代のソ連以下だ」という人々の感想で溢れている。情けない話ではあるが、ぼくも心底そう思う。
 3.8マイクロシーベルト未満は通常通りだとうそぶきながら、0.5マイクロシーベルトの現場にフル装備で5分しかいなかった枝野官房長官は「直ちに健康に影響はありません」と繰り返しているが、それで5年後、10年後の子供達の健康に責任を持てると思っているのだろうか? 
 これは明らかに犯罪行為であり、糾弾されなければならない。
 ついでに、『週刊文春』にはこんな記事が掲載されていた。

 菅直人 震災翌日「献金韓国人」に口止め電話! これは被災者への背信行為だ
「過去も現在も未来も会ったことはなかったことにしてくれ」
 東北大震災が起きた翌日、菅首相はヘリの窓越しに、被災地の惨状を厳しい表情で見つめていた。だが最も憂慮していたのは、自らの違法献金問題たったようだ。よりによってこの日、献金した在日韓国人に口止めを念押し。これは被災者への裏切りではないか。(週刊文春 4月14日号)

 最低の首相と官房長官のコンビが、最大の危機を迎えた日本の舵取りをしているのだ。やりきれない話ではある。
 そういう中、東電が電気代の値上げを発表した。しかもこれは、原発事故とは無関係な、原油価格の値上がりを受けての値上げなのだそうだ。やがて、電気料金をさらにケタ違いに値上げするつもりなのだろう。
 海江田万里経済産業相は、東京電力の福島第一原子力発電所の事故による賠償金について、「原賠法に基づいて国が支援します。国の支援というのは最終的には国民の負担であります。増税か、電気料金値上げの2つの選択肢がある」と述べた。
 電気料の値上げ? 税負担?
 はっきり言わせてもらうが、どちらも荒唐無稽な話である。
 なぜか?
 日本は自由主義経済を標榜してきたのではなかったか。だとしたら、東電は他の多くの私企業がそうであるように、可能な限りのコストカットし、資産を売却し、それでもどうにならなかったら倒産すべきだからである。
 公共性が高いと言うならば、一度解体されるべきだ。
 金融危機の際、公的資金(つまり税金)が投入されて再生した銀行が、その後貸し剥がしを連発し多くの中小企業を倒産に追い込んだようなことが、二度とあってはならない。

 ところで、金融機関にも、こんなところがある。
 城南信用金庫という東京と神奈川で店舗展開をしている信用金庫が「脱原発宣言」 をしたのだ。吉原理事長の「原発に頼らない安心できる社会へ」という文書が発表された。
「今回の事故を通じて、原子力エネルギーは、 私達に明るい未来を与えてくれるものではなく、一歩間違えば取り返しのつかない危険性を持っていること、さらに、残念ながらそれ を管理する政府機関も企業体も、万全の体制をとっていなかったことが明確になりつつあります」としている。
 http://www.jsbank.co.jp/topic/pdf/genpatu.pdf

 大正末期には、たくさんあった小さな電力会社の統合が進み、五大電力会社が存在した。しかし1939年に、国家総動員法によりこれらの電力会社は特殊法人の日本発送電と関連する9配電会社に統合された。
 そして戦後、占領政策の中で日本発送電の独占状態が問題視された。
 電気事業再編成審議会が発足し、審議会の会長がGHQを説得し、国会決議より効力が強いGHQポツダム政令として、9電力会社への事業再編が実現された。電気事業再編成審議会の全委員の反対を押し切ったのである。
 1952年には、9電力会社が電気事業連合会を設立する。
 こうした形態が、今日までつづいているわけだ。

 浜岡原子力発電所は中部電力の原子力発電所である。東海地震の予想震源域にあり、活断層が直下にあるきわめて危険な原発なのに廃炉にできないのは、「中部電力には他に原発がなく、電力会社は原発を1つは持っていなければならないという暗黙のルールがあるからだ」という説もある。
 中部電力には芦浜原子力発電所の建設計画があったが、2000年に計画の白紙撤回が表明され、事実上計画は中止されたのである。したがって、今は浜岡が唯一の原発なのだ。
 もしも本当にそんなことのために浜岡原発を廃炉にできないのだとするなら、あまりにも馬鹿げた話である。
 海江田万里経済産業相が述べたようなことが本当に実現するなら──つまり電気料が値上げされるか税金が値上げされるかして、東電が今の体制のまま継続されるなら、日本は世界の笑い者になるだろう。
 経済産業省の松永和夫次官は、保安院を含めた経産省職員を集め、
「この事故対応には省の存亡がかかっている!」と訓示を垂れたのだそうだ(『週刊現代』)。
 省の存亡? 
 国の存亡の間違いではないのですか、次官!

 インターネットのあちこちで、最初に誰が言い出したのか知らないが、全国の電力会社を再編成し直して、これを発電会社と送電会社に分離すべきだというアイディアが提案されている。
 発電会社を発電方式で再編し、福島第一原発事故の賠償は原子力発電会社と旧東電送電会社で負担するのだ。
 原子力発電会社と旧東電組の会社は、当然ながら債務超過になるだろうから一時国有化する。国の負担分は、原子力発電会社と旧東電送電会社の利益から国に返済する。
 こうすれば税金の値上げも電気料金の値上げもなく、コストを無視した原発建設もできなくなる。
 ぼくら消費者は、自らの意志の問題として「原発による電気」か「それ以外の電気」かを選べばいいわけだ。
 ぼくは素晴らしいアイディアの1つだと思うが、どうだろうか?
 それくらい大胆なことをやらないと、この国難は乗り切れないと思う。

 この際、これまでに東電から献金をもらっていた政治家でも責めないことにしようではないか。民主党だろうが自民党だろうが無所属だろうが、何も文句は言わないことにしよう。もしも彼が「これからはあまりにも危険な原子力発電所に頼るのは嫌だ。子供達を守らなければならない」と主張するならば。
 そういう政治家、そういう政府を選挙で選ばなければならないのだとぼくは思う。

 ぼくのこのブログも広大な海のようなインターネットの中の、シナプスの1つである。
 少しでも温かでポジティヴなガイア・イメージに貢献できればと思い、深夜、この文章を書き記した。とにかく、原発を止めなければ日本だけではなく、ガイアがたいへんなことになってしまう。たった今、乳幼児や子供達を守らなければ、ぼくらの日本はたいへんな悲劇に落とされることになる。
 市民団体「母乳調査・母子支援ネットワーク」が独自に母乳を民間放射線測定会社に送り分析した結果が、20日に発表された。千葉県内居住の女性の母乳から1キログラム当たり36・3ベクレルの放射性ヨウ素が検出されたのである。枝野官房長官はまた「ただちに……」と言うのだろうか? だったらあなたは自分の赤ん坊にそいつを飲ませることができるのか?
 とうとう、母乳まで汚染され始めてしまった──急がなければ。
 長いエッセイをお読みいただき、また前の記事にコメントをいただき、ありがとうございました。

PS 前の記事を、西さん が「力作だ」と褒めて下さった。ありがとうございます。しかし、武田邦彦教授の「大人は子供たちを被ばくさせたがっている・・・」 こそは、思想を超えた力作です。さまざまな立場の人々に「立ち上がってください!」と訴えかけるその文章は、「バビロンにいる人はバビロンで戦えば良い」と歌いかけたボブ・マーレィの歌詞のようだ。ご一読をおすすめします。
 http://takedanet.com/2011/04/post_faf5.html

 10年以内で原発依存を半減できるというポール・ガイプ氏の日本への提言、和訳 です。
 http://www.wind-works.org/FeedLaws/Japan/JapaneseWhatFeed-inTariffsCouldDo.pdf