郵便局にて。

なぜかケンブリッジの郵便局には、シニアの職員が多い。そして、お客さんとおしゃべりをしながら、すごく陽気に楽しそうに仕事しています。長い行列ができても、おかまいなし。急いでいるのに待たされてるときなどは、少しなんとかならんかな、と思うのですが…。


さて。日本向けの荷物を発送したときのこと。

60代とおぼしきおばちゃん職員が、例によって、老眼鏡を上げたり下げたりしながら、モニターを覗き込み、ゆっくりとコンピューターを操作していました。そして、例によって、何度も手元が狂うようで、何度も何度もやりなおす。どうやら、僕が書いた日本の郵便番号(Zip code)が、うまくヒットしないようです。

しまいになってイライラしたのか、彼女は「Holly shit!(ちくしょう、のかなり強烈バージョン)」と短く叫んでから、「しまった」という表情を浮かべて、僕のほうを見た。


「ごめんなさいね。汚い言葉を使ってしまって。びっくりしたでしょう」

恥ずかしそうに、彼女はそう言いました。

「いえいえ。アメリカに一年もいると、もう、慣れました(笑)」

「そうよね。アメリカの言葉は汚いものね。スラング、スラング、スラング。アメリカ人の英語って、汚い言葉でできてるのよね。日本もそう?」

「うーん。日本語には、アメリカの英語ほど汚い言葉はないんです」

「なぜ?」

「僕たちの先祖は、言葉には魂(Spirit)が宿ると考えたのです。だから、汚い言葉や、忌わしい言葉を口にすると、そういうことが本当に起こると考えた。言葉を向けた相手にも、言葉を発した本人にも。これを、言霊(コトタマ)といいます。そして、なるべく、めでたいこと、晴れがましいことを口にしようとした。その名残りでしょう。日本人は今でも、禍々しいことを口にするのを、どこか躊躇するところがあるんです」

すると彼女は、完全に作業の手を止め、深いため息をつきながら、こういいました。

「それはなんて素晴らしい考え方なの!まったくその通り。賛成します。言葉は大事です。なるほど。ふむ。だから、日本人は、あんなに素晴らしい民族なのね」

あわてて補足する僕。

「といっても、若い世代はそうじゃありません。インターネットなんかみると、汚い日本語があふれるようになってきました。もちろん、アメリカの英語ほど汚くはないですが」

彼女は心から悲しそうに、言いました。

「なんてことなの!日本もまた、アメリカナイズされてるの・・・。ああ、アメリカが日本化(Japanize)すればいいのにね…」


世界中のあちこちで、こういうことを経験します。

カミカゼ、ゲイシャ、ハラキリの「不思議の国」であったり、エコノミックアニマル、イエローモンキーの「卑しい国」というのは、過去のイメージです。

今や各種の調査が明らかにするように、平和的で、礼儀正しく、おしゃれで、勤勉で、尊敬に値する国として、ほとんどの国の人々が真っ先にあげるのが、日本です。経済成長にストップがかかり、成熟した文化国家としての認知が高まるにつれ、そのイメージはより穏やかで、洗練されたものになってきたようです。戦後長らく、「国権の発動」としてただの一人の他国民も殺さなかった、徹底した平和国家としての歴史も、よく知られるようになりました。

また、先の戦争のイメージも、少し変化してきています。

政治的な理由で、反日を国是とせざるを得ない一部アジア諸国はさておき、「そもそも日本はナチスとは違う。それに、日本も悪かったけど、アメリカもイギリスも、それほど褒めらたもんじゃない」という歴史観が、多く語られるようになりました。そして、むしろ、「あの不利な状況で、よくあれほど見事に戦ったもんだ」と賞賛する声をよく聞くのです。
実際、アメリカの軍人・元軍人と太平洋戦争の話をすると、彼らは決まって、硫黄島や沖縄、真珠湾や珊瑚海での帝国陸海軍の勇猛な戦いぶりを、熱っぽく語ります。アドミラル・ヤマモト、ジェネラル・ヤマシタは、彼らにとっても尊敬に値するヒーローなのです。

やむを得ず武器をとれば勇猛果敢。そしてひとたび矛を収めれば、世界に冠たる平和国家。それが日本。

豊かで、穏やかで、平和で、謙虚で、礼儀正しい人々の住む国。美しいもの、楽しいもの、素晴らしいものが、無尽蔵に飛び出してくる「宝箱」のような国。…日本は、世界の人々の中で、新たな「神話」になりつつあるようです。まさに、豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)、黄金の国ジパング。


無論、自画自賛ばかりして傲慢になり、努力を怠れば、その瞬間から国はまっさかさま。ただでさえ、停滞から下降の20年を過ごしてきたのですから、日本人はもっと奮起しなければなりません。しかし、僕たちの国は、そんなに悪く思われてはいないのです。

「アメリカが日本化すればいいのにね」

という郵便局のおばちゃんの言葉は、おそらく世界中の人々の胸の中で、静かに広がりつつある本音なのでしょう。誰だって戦争はしたくない。誰だって平和に、豊かに暮らしたい。その夢を、少なくとも戦後長く、日本という国は実現してきた。

その意味で、世界の多くの人々が、

「世界が日本化すればいいのにね」

と思っています。日本のような国を作り、日本のような国に住みたい。そう願っている。

そして、だからこそ、世界中の人々に、いつまでもそう思ってもらえるよう、僕たちは頑張らねばなりません。それが、日本の国の、僕たちの世代の使命ではないでしょうか。


郵便物を出し終えて外に出ようとした僕に、彼女はこう言いました。

「いつか私も行ってみたいわ。いい国なんでしょう、日本?」

ふり向いて、僕はこう言った。

「ええ、とても。僕は誇りに思っています」

外に出ると、雪晴れのケンブリッジに、抜けるような青空が広がっていました。僕たちの国はまだ、捨てたもんじゃありません。



― 佐保姫に豊蘆原はのどかなる

                津山謙 拝



※佐保姫(さほひめ):春の女神。 五行説では春は東の方角にあたり、平城京の東に佐保山があるため、春の神を佐保姫と呼ぶようになった。白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい女性とされ、やわらかな春の風をこう呼ぶこともある。対語は、秋の女神、竜田姫。

※豊蘆原(とよあしはら):わが国の古称。神々が、高天原(たかまがはら:天上界)、黄泉国(よみのくに:死後の世界)の中間に築いたのが、豊蘆原中津国(とよあしはらのなかつくに)、日本である。


【津山謙(つやまゆずる・津山ゆずる)のブログです】